・・・粥釣りを迎える家に勇猛な女中でもいると少し怪しいと思われるようなのをいきなりつかまえて面を引きはごうとして大騒ぎになるようなこともあったような気がする。 こじきを三日すると忘れられないというが、自分にもこのこじきの体験は忘れられないもの・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならん事を希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握る事ができる・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・人物と時代とを過去にかりて、テーマは作者自身の現実生活に横わっている芸術上の勇猛心を描こうと試みたものであり、或は文学における芸術性と社会性との問題についての疑いを語ろうとしたものであった。テーマは作者の主観において極めて生々しいものであり・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・明治のロマンティック時代から作家生活を辿って来たこの粘り強い小説家が、云って見れば彼をもその波の下に置こうとするような時代の激しさに向い立って、勇猛心を動かされ、歴史と云うものを改めて見直す欲望から維新を背景とするこの長篇を書いたことは面白・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ かように、いつの間にか彼女の心のどこかで育っていた、理智と感情との権衡を失した力の争闘は、幾多の朦朧とした煩悶を産んで、小学時代の最後の一年間に、子供らしい無邪気さや、活気や、勇猛心は、皆彼女のどこからも消滅してしまったように見えてい・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・ パール・バックは、中国の庶民の女の生きる力のつよさ、殆ど毅然たる勇猛心を実によく感得した。それら中国の妻たち、母たちは、高い身分から低い身分の女に到るまで、親愛と敬歎をもって描かれている。しかし、文学というものの微妙さ、民族性というも・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・ では、わたしたちの愛を護りぬきましょう、と、オセロのすべての勇猛を、自分たちの愛のまもりに動かす人間らしい誠実さがなかったろう。ルネッサンス時代の若い貴女デスデモーナは、お父様、わたくしはあの方と結婚しとうございます、というところまで自主・・・ 宮本百合子 「デスデモーナのハンカチーフ」
・・・しかし、芸術家としての彼が遂に一大勇猛心をふるいおこして、小さい囲炉裏のような私一個の安心立命は思い捨て、この人生が彼にとって根本に寂しと観じられているならそれなり刻々の我が全生活をかけて、感覚と形象の世界へ突入してゆくことで天地の生気の諸・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・で、戦争に勝つのはえらい大将やえらい参謀が勝たせるのではなくて、勇猛な兵卒が勝たせるのだとしてあれば、この観察の土台になっている個人主義を危険だとするのである。そんな風に穿鑿をすると同時に、老伯が素食をするのは、土地で好い牛肉が得られないか・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
・・・それを説いているのが戦国末期の勇猛な武士であるというところに、我々は非常な興味を覚える。 が、『辰敬家訓』の一層顕著な特徴は、「算用」という概念を用いて合理的な思惟を勧めている点である。彼はいう、「算用を知れば道理を知る。道理を知れば迷・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫