・・・平坦な北上総にはとにかく遊ぶに足るの勝地である。鴨は真中ほどから南の方、人のゆかれぬ岡の陰に集まって何か聞きわけのつかぬ声で鳴きつつある。御蛇が池といえば名は怖ろしいが、むしろ女小児の遊ぶにもよろしき小湖に過ぎぬ。 湖畔の平地に三、四の・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・この日岩手富士を見る、また北上川の源に沼宮内より逢う、共に奥州にての名勝なり。 十七日、朝早く起き出でたるに足傷みて立つこと叶わず、心を決して車に乗じて馳せたり。郡山、好地、花巻、黒沢尻、金が崎、水沢、前沢を歴てようやく一ノ関に着す。こ・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
一 大正十二年のおそろしい関東大地震の震源地は相模なだの大島の北上の海底で、そこのところが横巾最長三海里、たて十五海里の間、深さ二十ひろから百ひろまで、どかりと落ちこんだのがもとでした。 そのために・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・五所川原駅からガソリンカアで三十分くらい津軽平野のまんなかを一直線に北上すると、その町に着くのだ。おひる頃、中畑さんと北さんと私と三人、ガソリンカアで金木町に向った。 満目の稲田。緑の色が淡い。津軽平野とは、こんなところだったかなあ、と・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・金木町というのは、五所川原から更に津軽鉄道に依って四十分、北上したところに在るのである。 私たちは中畑さんのお家で昼食をごちそうになりながら、母の容態をくわしく知らされた。ほとんど危篤の状態らしい。「よく来て下さいました。」中畑さん・・・ 太宰治 「故郷」
・・・どのものだろうと思われ、とても親子四人がその中へ割り込める自信は無かったし、方向をかえて、小牛田から日本海のほうに抜け、つまり小牛田から陸羽線に乗りかえて山形県の新庄に出て、それから奥羽線に乗りかえて北上し、秋田を過ぎ東能代駅で下車し、そこ・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・ところが午後六時にはこの低気圧はさらに深度を強めて北上し、ちょうど札幌の真西あたりの見当の日本海のまん中に来てその威力をたくましくしていた。そのために東北地方から北海道南部は一般に南西がかった雪交じりの烈風が吹きつのり、函館では南々西秒速十・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・斉藤先生が先に立って女学校の裏で洪積層と第三紀の泥岩の露出を見てそれからだんだん土性を調べながら小船渡の北上の岸へ行った。河へ出ている広い泥岩の露出で奇体なギザギザのあるくるみの化石だの赤い高師小僧だのたくさん拾った。それから川岸を下って朝・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ それは本とうは海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸です。北上川の西岸でした。東の仙人峠から、遠野を通り土沢を過ぎ、北上山地を横截って来る冷たい猿ヶ石川の、北上川への落合から、少し下流の西岸でした。 イギリス海岸には、青白い・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・わたくしが疲れてそこに睡りますと、ざあざあ吹いていた風が、だんだん人のことばにきこえ、やがてそれは、いま北上の山の方や、野原に行われていた鹿踊りの、ほんとうの精神を語りました。 そこらがまだまるっきり、丈高い草や黒い林のままだったとき、・・・ 宮沢賢治 「鹿踊りのはじまり」
出典:青空文庫