・・・ すでに北国の夏の夜はふけてみえました。 小川未明 「不死の薬」
・・・ 男爵というのは、謂わば綽名である。北国の地主のせがれに過ぎない。この男は、その学生時代、二、三の目立った事業を為した。恋愛と、酒と、それから或る種の政治運動。牢屋にいれられたこともあった。自殺を三度も企て、そうして三度とも失敗している・・・ 太宰治 「花燭」
・・・あなたはあの頃、画家になるのだと言って、たいへん精巧のカメラを持っていて、ふるさとの夏の野道を歩きながら、パチリパチリだまって写真とる対象物、それが不思議に、私の見つけた景色と同一、そっくりそのまま、北国の夏は、南国の初秋、まっかに震えて杉・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ ことしの東京の春は、北国の春とたいへん似ています。 雪溶けの滴の音が、絶えず聞えるからです。上の女の子は、しきりに足袋を脱ぎたがります。 ことしの東京の雪は、四十年振りの大雪なのだそうですね。私が東京へ来てから、もうかれこれ十・・・ 太宰治 「春」
ことしの正月から山梨県、甲府市のまちはずれに小さい家を借り、少しずつ貧しい仕事をすすめてもう、はや半年すぎてしまった。六月にはいると、盆地特有の猛烈の暑熱が、じりじりやって来て、北国育ちの私は、その仮借なき、地の底から湧き・・・ 太宰治 「美少女」
・・・、質屋の出入り、牢屋の生活といったようなものが窺われ、美食家や異食家がどんなものを嗜んだかが分かり、瑣末なようなことでは、例えば、万年暦、石筆などの存在が知られ、江戸で蝿取蜘蛛を愛玩した事実が窺われ、北国の積雪の深さが一丈三尺、稀有の降雹の・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・屋根の勾配やひさしの深さなどでも南国と北国とではいくらかそれぞれに固有な特徴が見られるように思われる。 近来は鉄筋コンクリートの住宅も次第にふえるようである。これは地震や台風や火事に対しては申しぶんのない抵抗力をもっているのであるが、し・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・その音楽の布いて行く地盤の上に、遠い昔の北国の曠い野の戦いが進行して行った。同じようにはかないうら悲しい心持ちに、今度は何かしら神秘的な気分が加わっているのであった。 忠義なハルメソンとその子が王の柩を船底に隠し、石ころをつめたにせの柩・・・ 寺田寅彦 「春寒」
・・・涼しい滝縞の暖簾を捲きあげた北国特有の陰気な中の間に、著物を著かえているおひろの姿も見えた。「おいでなさい」お絹は二人を迎えたが、母親とはまた違って、もっときゃしゃな体の持主で、感じも瀟洒だったけれど、お客にお上手なんか言えない質である・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・暇乞のためだから別段の話しも出なかったが、ただ門弟としての物集の御嬢さんと今一人北国の人の事を繰り返して頼んで行った。 一日越えて、余が答礼に行った時は、不在で逢えなかった。見送りにはつい行かなかった。長谷川君とは、それきり逢えない事に・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
出典:青空文庫