・・・右隣は歯科医院であった。 その歯科医院は古びたしもた家で、二階に治療機械を備えつけてあるのだが、いかにも煤ぼけて、天井がむやみに低く、機械の先が天井にすれすれになっていて、恐らく医者はこごみながら、しばしば頭を打っつけながら治療するので・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・…… ――其の後、売薬規則の改備によって、医師の誹謗が禁じられると、こんどは肺病全快写真を毎日掲載して、何某博士、何某医院の投薬で治らなかった病人が、川那子薬で全快した云々と書き立てた。世の人心を瞞着すること、これに若くものはない。・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・まえまえから胃腸が悪いと二ツ井戸の実費医院へ通い通いしていたが、こんどは尿に血がまじって小便するのにたっぷり二十分かかるなど、人にも言えなかった。前に怪しい病気に罹り、そのとき蝶子は「なんちう人やろ」と怒りながらも、まじないに、屋根瓦にへば・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・そこは地方によくあるような医院の一室で、遠い村々から来る患者を容れるための部屋になっていた。蜂谷という評判の好い田舎医者がそこを経営していた。おげんが娘や甥を連れてそこへ来たのは自分の養生のためとは言え、普通の患者が病室に泊まったようにも自・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・×日正午すぎ×区×町×番地×商、何某さんは自宅六畳間で次男何某君の頭を薪割で一撃して殺害、自分はハサミで喉を突いたが死に切れず附近の医院に収容したが危篤、同家では最近二女某さんに養子を迎えたが、次男が唖の上に少し頭が悪いので娘可愛さから思い・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・船橋に移ってからは町の医院に行き、自分の不眠と中毒症状を訴えて、その薬品を強要した。のちには、その気の弱い町医者に無理矢理、証明書を書かせて、町の薬屋から直接に薬品を購入した。気が附くと、私は陰惨な中毒患者になっていた。たちまち、金につまっ・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・この子のかよっている医院も、きっと焼けるに違いない、また他の病院も、とにかく甲府には、医者が無くなる。そうすると、この子は失明のままで、どうなるのだろう。万事、休す。「なんでもいい。とにかく、もう一月は待ってくれてもよさそうに思うがねえ・・・ 太宰治 「薄明」
・・・の一男子自ら顧るに庸且つ鄙たりと雖も、たゆまざる努力を用いて必ずやこの老いの痩腕に八郎にも劣らぬくろがねの筋をぶち込んでお目に掛けんと固く決意仕り、ひとり首肯してその夜の稽古は打止めに致し、帰途は鳴瀬医院に立寄って耳の診察を乞い、鼓膜は別に・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・(東京で治療を受けていた医者は神田神保町に暢春医院の札を出していた馬島永徳という学士であった。暢春医院の庭には池があって、夏の末には紅白の蓮の花がさいていた。その頃市中 わたくしは三カ月ほど外へ出たことがなかったので、人力車から新橋の停・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・鹿野医院へ行ったが日曜で留守。もう一軒、あっちの桜並木通りの医者へ行った。やや暫くして、骨はとれずぷりぷりして帰って来た。洋館まがいの部屋などあるが、よぼよぼのまやかし医者で、道具も何もなく、舌を押えて覗いては考え、ピンセットを出しては思案・・・ 宮本百合子 「金色の秋の暮」
出典:青空文庫