・・・ 千代は、いると定ると、牛込の宿に行って荷物を取って来た。大きくもない風呂敷包み一つが、美しいその娘の全財産であるらしかった。三畳の小部屋に其を片づけて仕舞うと、彼女は立って台所に来た。 さほ子はメリケン粉をこねながら、千代が、来た・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ * 由子はお千代ちゃんという友達を持っていた。由子の唯一の仲よしであった。由子が小学校の六年の時、お千代ちゃんは五年で、仲よしになったのはどんな動機からであったか、由子はもう思い出せない。六年と五年の女生徒・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・文相天野貞祐が、各戸に日の丸の旗をかかげさせ、「君が代は千代に八千代にさざれ石の、巖となりて苔のむすまで」と子供の科学では解釈のつかない歌を歌わせたとして、ピチピチと生きてはずんで刻々の現実をよいまま、わるいままに映している子供の心に、何か・・・ 宮本百合子 「修身」
・・・原稿紙に香水を匂わせるという優にやさしい堤千代も、吉屋信子も、林芙美子も、女の作家ながらその方面の活躍では目ざましかった。 このように文化が戦争の宣伝具とされた時期、いわゆる純文学はどういう過程を経たかと云えば、周知のとおり、人間本来の・・・ 宮本百合子 「商売は道によってかしこし」
・・・ 机が大変よごれたので水色のラシャ紙をきって用うところだけにしき、硯ばこを妹にふみつぶされたから退紅色のところに紫や黄で七草の出て居る千代がみをほそながくきって図学(紙をはりつけて下に敷いた。 水色のところにうき出したように見えてき・・・ 宮本百合子 「日記」
・・・平凡社から『宇野千代集』と合冊で『中條百合子集』が出版された。一九三一年「三月八日は女の日だ」「スモーリヌイに翻る赤旗」「ソヴェト五ヵ年計画と芸術」その他ソヴェトに関する印象、紹介などを書く。又三月には田村俊子、野上・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・同座していられた宇野千代さんが、それに賛成され、本当にそうしたら亭主のことでも悪く書けていい、という意味のことを云われ、私はその時大変困った。辛うじて、自分をも見る目の意味であるというような短かい言葉を註した。場所がら、非人情という私の意味・・・ 宮本百合子 「パァル・バックの作風その他」
・・・ 宇野千代氏が、作家尾崎士郎氏との生活をやめた心持も他のことをぬいて、その面からだけ見て、理解しがたいものとは映らなかった。 私はそれ等のことを主として、作家としての完成というものも個人的な立場だけに立っているうちはその可能にどんな・・・ 宮本百合子 「夫婦が作家である場合」
・・・しかしながら、作者はその習作においてがんこな農村の親族間のごたごたと、工場監督にはらまされてかえって来た千代という娘の悲惨を描こうとしている。千代に、「私……私がわるいんじゃないんです。みんな、あの監督さんがわるいんです」と云わせている作者・・・ 宮本百合子 「見落されている急所」
・・・元禄時代には、辛うじて俳句の世界で加賀の千代、その他数名の優れた女性達が現われた。けれども、小説というような、社会に対する客観的な眼、自分の生活に対する省察と洞察とを要求されるような精神上の労作は、封建の数百年間、日本婦人の可能から、奪われ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫