・・・ 三「伯父さんおあぶのうございますよ」 半蔵門の方より来たりて、いまや堀端に曲がらんとするとき、一個の年紀少き美人はその同伴なる老人の蹣跚たる酔歩に向かいて注意せり。渠は編み物の手袋を嵌めたる左の手にぶら提灯を携・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・赤児がやっとの事泣き止んだかと思うと、車掌が、「半蔵門、半蔵門でございます。九段、市ヶ谷、本郷、神田、小石川方面のお方はお乗換え――あなた小石川はお乗換ですよ。お早く願います。」と注意されて女房は真黒な乳房をぶらぶら、片手に赤児片手に提灯と・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・浅草橋も後になし須田町に来掛る程に雷光凄じく街上に閃きて雷鳴止まず雨には風も加りて乾坤いよいよ暗澹たりしが九段を上り半蔵門に至るに及んで空初めて晴る。虹中天に懸り宮溝の垂楊油よりも碧し。住み憂き土地にはあれどわれ時折東京をよしと思うは偶然か・・・ 永井荷風 「夕立」
・・・その旋風のつよさは、半蔵門に基さんが居たとき、三尺に五尺ほどのトタン板がヒラヒラと舞う。 三日の晩松坂屋がやけ始め 四日の朝六時に不忍池の彼方側ですっかり火がしずまった。 父上が先の森さんのうちの前で見ると、九十度位の角度に火が拡っ・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・ 住いは六十五のとき下谷徒士町に移り、六十七のとき一時藩の上邸に入っていて、麹町一丁目半蔵門外の壕端の家を買って移った。策士雲井龍雄と月見をした海嶽楼は、この家の二階である。 幕府滅亡の余波で、江戸の騒がしかった年に、仲平は七十・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫