・・・それから夜は目を覚ますと、絶えずどこかの半鐘が鳴りつづけていたのを覚えている。 三一 答案 確か小学校の二、三年生のころ、僕らの先生は僕らの机に耳の青い藁半紙を配り、それへ「かわいと思うもの」と「美しいと思うもの」と・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ 町の方からは半鐘も鳴らないし、ポンプも来ない。ぼくはもうすっかり焼けてしまうと思った。明日からは何を食べて、どこに寝るのだろうと思いながら、早くみんなの顔が見たさにいっしょうけんめいに走った。 家のすこし手前で、ぼくは一人の大きな・・・ 有島武郎 「火事とポチ」
・・・火事があったら半鐘の音ぐらい聞えそうなもんだったが、出火の報鐘さえ聞かなかった。怎うして焼けたろう? 怎うしても焼けたとは思われない。 暗号ではないかとも思った。仮名が一字違ってやしないかとも思った。が、怎う読直しても、ケサミセヤケタ!・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・夜中の二時すぎに、けたたましく半鐘が鳴って、あまりにその打ちかたが烈しいので、私は立って硝子障子をあけて見た。炎々と燃えている。宿からは、よほど離れている。けれども、今夜は全くの無風なので、焔は思うさま伸び伸びと天に舞いあがり立ちのぼり、め・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・日の暮れかたからちらちらしはじめ間もなくおおきい牡丹雪にかわり三寸くらい積ったころ、宿場の六個の半鐘が一時に鳴った。火事である。次郎兵衛はゆったりゆったり家を出た。陣州屋の隣りの畳屋が気の毒にも燃えあがっていた。数千の火の玉小僧が列をなして・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・サイレンが鳴り、花火が上がり、半鐘が鳴っている最中に踵を接して暖簾を潜って這入って行く浴客の数は一人や二人ではなかったのである。風呂屋の主人は意外な機会に変った英雄主義を発揮して見せた訳である。尤も同時に若干の湯銭を獲得したことも事実ではあ・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・むやみに人生だ人生だと騒いでも、何が人生だか御説明にならん以上は、火の見えないのに半鐘を擦るようなもので、ちょっと景気はいいようだが、どいたどいたと駆けて行く連中は、あとから大に迷惑致すだろうと察せられます。人生に触れろと御注文が出る前に、・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
出典:青空文庫