・・・椿岳の作品 が、画かき根性を脱していて、画料を貪るような卑しい心が微塵もなかった代りに、製作慾もまた薄かったようだ。アレだけの筆力も造詣もありながら割合に大作に乏しいのは畢竟芸術慾が風流心に禍いされたのであろう。椿岳を大ならしめたの・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 春になって、花が咲いても、初夏が至って、新緑に天地はつゝまれても、心から、自然を味い、また、愛する余裕を持たず、その慈愛心もなく、いたずらに、虚名につながれている輩の如き、いかに卑しいことか。私は、いまにして、生活の意義を考えるのであ・・・ 小川未明 「自由なる空想」
・・・己惚れは心卑しい愚者だけの持つものだろうか。そうとも思えない。例えば作家が著作集を出す時、後記というものを書くけれど、それは如何ほど謙遜してみたところで、ともかく上梓して世に出す以上、多少の己惚れが無くてはかなうまいと思うが、どうであろうか・・・ 織田作之助 「僕の読書法」
・・・夜食膳と云いならわした卑しい式の膳が出て来る。上には飯茶碗が二つ、箸箱は一つ、猪口が二ツと香のもの鉢は一ツと置ならべられたり。片口は無いと見えて山形に五の字の描かれた一升徳利は火鉢の横に侍坐せしめられ、駕籠屋の腕と云っては時代違いの見立とな・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・自分のものでも無い或る卑しい想念を、自分の生れつきの本性の如く誤って思い込み、悶々している気弱い人が、ずいぶん多い様子であります。卑しい願望が、ちらと胸に浮ぶことは、誰にだってあります。時々刻々、美醜さまざまの想念が、胸に浮んでは消え、浮ん・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・人間は、誰でも、くだらなくて卑しいものだと思っています。作品だけが救いであります。仕事をするより他はありません。君の手紙を読むと、君は此頃ひどく堕落しているという事が、はっきりわかります。いい加減であります。君はまさしく安易な逃げ路を捜して・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・政治運動を行ったからであり、情死を行ったからであり、卑しい女を妻に迎えたからである。私は、仲間を裏切りそのうえ生きて居れるほどの恥知らずではなかった。私は、私を思って呉れていた有夫の女と情死を行った。女を拒むことができなかったからである。そ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・あなたは、いつでも知らん顔をして居りますし、私だって、すぐその角封筒の中味を調べるような卑しい事は致しませんでした。無ければ無いで、やって行こうと思っていたのですもの。いくらいただいた等、あなたに報告した事も、ありません。あなたを汚したくな・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・ 田島は、キヌ子を憎むあまりに、ほとんど人間ばなれのしたケチな卑しい計画を立て、果して、死ぬほどの大難に逢うに到った。 夕方、田島は、世田谷のキヌ子のアパートを捜し当てた。古い木造の陰気くさい二階建のアパートである。キヌ子の部屋は、・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・と熊本君にまで卑しいお追従を言ったのである。「そうですとも。」熊本君は、御機嫌を直して、尊大な口調で相槌打った。「私たちは、パルナシヤンです。」「パルナシヤン。」佐伯は、低い声でそっと呟いていた。「象牙の塔か。」 佐伯の、その、・・・ 太宰治 「乞食学生」
出典:青空文庫