・・・いかに卑怯なことをしても、ただ勝ちさえ致せば好いと、勝負ばかり心がける邪道の芸でございまする。数馬の芸はそのように卑しいものではございませぬ。どこまでも真ともに敵を迎える正道の芸でございまする。わたくしはもう二三年致せば、多門はとうてい数馬・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・のみならず窮状を訴えた後、恩恵を断るのは卑怯である。義理人情は蹂躙しても好い。卑怯者になるだけは避けなければならぬ。しかし金を借りることは、――少くとも金を借りたが最後、二十八日の月給日まで返されないことは確かである。彼は原稿料の前借などは・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・ 手前たちは木偶の棒だ。卑怯者だ。この子供がたとえばふだんいたずらをするからといって、今もいたずらをしたとでも思っているのか。こんないたずらがこの子にできるかできないか、考えてもみろ。可哀そうに。はずみから出たあやまちなんだ。俺はさっきから・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・およそその後今日までに私の享けた苦痛というものは、すべての空想家――責任に対する極度の卑怯者の、当然一度は受けねばならぬ性質のものであった。そうしてことに私のように、詩を作るということとそれに関聯した憐れなプライドのほかには、何の技能ももっ・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・しかし、その、あえてする事をためらったのは、卑怯ともいえ、消極的な道徳、いや礼儀であった。 つい信也氏も誘われた。 する事も、いう事も、かりそめながら、懐紙の九ツの坊さんで、力およばず、うつくしいばけものの、雪おんな、雪女郎の、……・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ しかもそのくせ、卑怯にも片陰を拾い拾い小さな社の境内だの、心当の、邸の垣根を覗いたが、前年の生垣も煉瓦にかわったのが多い。――清水谷の奥まで掃除が届く。――梅雨の頃は、闇黒に月の影がさしたほど、あっちこっちに目に着いた紫陽花も、この二・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 人畜を挙げて避難する場合に臨んでも、なお濡るるを恐れておった卑怯者も、一度溝にはまって全身水に漬っては戦士が傷ついて血を見たにも等しいものか、ここに始めて精神の興奮絶頂に達し猛然たる勇気は四肢の節々に振動した。二頭の乳牛を両腕の下に引・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・「達ちゃん、そんなことをいうのは、卑怯ですよ。」と、お姉さんは、達ちゃんをたしなめなさいました。 じつは、今日、学校で、達ちゃんは先生にしかられたのでした。それは時間中に、砂場で採取してきた砂鉄を紙の上にのせて、磁石で紙の裏を摩擦し・・・ 小川未明 「二少年の話」
・・・現実の戦争を廻避して、空名の愛とか人道とかに隠れるというのは、何という卑怯さであるか。本当の愛であったならば、死を以って争うのが当然である。キリストの無抵抗主義若しくは犠牲というものは、そういうような逃避的な卑屈のものではなかった。・・・ 小川未明 「反キリスト教運動」
・・・「何だい卑怯なことを、お前も父の子じゃねえか」「だって、女の飲んだくれはあんまりドッとしないからね」「なあに、人はドッとしなくっても、俺はちょいとこう、目の縁を赤くして端唄でも転がすようなのが好きだ」「おや、御馳走様! どこ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫