・・・しかし僕を驚かせたのはトックの幽霊の写真よりもトックの幽霊に関する記事、――ことにトックの幽霊に関する心霊学協会の報告です。僕はかなり逐語的にその報告を訳しておきましたから、下に大略を掲げることにしましょう。ただし括弧の中にあるのは僕自身の・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ 二八 水泳 僕の水泳を習ったのは日本水泳協会だった。水泳協会に通ったのは作家の中では僕ばかりではない。永井荷風氏や谷崎潤一郎氏もやはりそこへ通ったはずである。当時は水泳協会も芦の茂った中洲から安田の屋敷前へ移ってい・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ つれは、毛利一樹、という画工さんで、多分、挿画家協会会員の中に、芳名が列っていようと思う。私は、当日、小作の挿画のために、場所の実写を誂えるのに同行して、麻布我善坊から、狸穴辺――化けるのかと、すぐまたおなかまから苦情が出そうである。・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・例えば左にも右くにも文部省が功労者と認めて選奨した坪内博士、如何なる偏見を抱いて見るも穏健老実なる紳士と認めらるべき思想界の長老たる坪内氏が、経営する文芸協会の興行たる『故郷』の上場を何等の内論も質問もなく一令を下して直ちに禁止する如き、恰・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ 文芸協会の成功は更に一層明白な事実である。腹蔵なくいえば文芸協会の芝居がそれほど立派なものだとは思わぬ。少くも見物してそれほど面白いとも思わぬ。沙翁劇にしろイブセンにしろ、本を読んだ時に与えられた以上の印象を受けたという事は出来ぬ。私・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・それから大今里のトキワ会という紙芝居協会へ三円払って絵と道具を借りた。谷町で五十銭の半ズボン、松屋町の飴屋で飴五十銭。残った三銭で芋を買って、それで空腹を満しながら、自転車を押して歩いた。飴は一本五厘で、五十銭で仕入れると、百本くれる。普通・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・後帝劇で舞台協会の山田、森、佐々木君等がはなばなしくやった。今の岡田嘉子がかえでをやった。夏川静枝も処女出演した。 上演は入りは超満員だったが、芝居そのものは、どうも成功とはいえなかった。作者としては不平だらだらだった。しかし舞台協会の・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・これらは英国造船協会の雑誌に掲載され、当時の学界の注意を引いたものである。同協会から賞牌を贈られたのは多分これに関聯してではなかったかと想像される。また船舶の胴体に働く剪断応力の分布について在来の考えの不備な点を考察した論文がある。これも重・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・ 二「今日本にあらゆる種類の全く無用な団体を作ろうとする熱、一種の狂熱がある……文学芸術の研究は決してかかる協会に伴なうものではない。文学芸術の研究は個人の努力と、それから独創的思索にたよるものだ。有名な書物を書き有名な・・・ 寺田寅彦 「人の言葉――自分の言葉」
・・・自分の室へ帰って先日国民美術協会でやった講演「雲の話」の筆記を校正していた。一、二頁見ているうちに急に全身が熱くなって来た。蒸風呂にでもはいったようで室内の空気がたまらなく圧しつけるように思われた。すぐに立って左側の窓をあけたが風を引きかえ・・・ 寺田寅彦 「病中記」
出典:青空文庫