・・・それ以来、十八世紀の初期に至るまで、彼が南北両欧に亘って、姿を現したと云う記録は、甚だ多い。最も明白な場合のみを挙げて見ても、千五百七十五年には、マドリッドに現れ、千五百九十九年には、ウインに現れ、千六百一年にはリウベック、レヴェル、クラカ・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・もしまたしまいまで御聞きになった上でも、やはり鶴屋南北以来の焼酎火のにおいがするようだったら、それは事件そのものに嘘があるせいと云うよりは、むしろ私の申し上げ方が、ポオやホフマンの塁を摩すほど、手に入っていない罪だろうと思います。何故と云え・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ いろいろの乞食が、東西、南北、その国の都をいつも往来していますので、その国の人も、これには気づきませんでした。 乞食に姿をかえたお姫さまの使いのものは、いろいろなうわさを聞くことを得ました。そして、そのものは、急いで帰りました。・・・ 小川未明 「赤い姫と黒い皇子」
・・・ 老臣は船の上で、夜になれば空の星影を仰いで船のゆくえを知り、また朝になれば太陽の上るのを見てわずかに東西南北をわきまえたのであります。そのほかはなにひとつ目に止まるものもなく、どこを見ても、ただ茫々とした青海原でありました。あるときは・・・ 小川未明 「不死の薬」
・・・お午の夜店というのは午の日ごとに、道頓堀の朝日座の角から千日前の金刀比羅通りまでの南北の筋に出る夜店で、私はふたたび夜の蛾のようにこの世界にあこがれてしまったのです。 おもちゃ屋の隣に今川焼があり、今川焼の隣は手品の種明し、行灯の中がぐ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 出したら最後、東西南北行方知れずだからね、あんたは」「あかんか」 大阪弁になっていた。「あかん。今夜中に書いて貰わんと、雑誌が出んですからね。あんたの原稿だけなんだ」「火野はまだだろう?」「いや、今着きましたよ」「・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・ しかし東京の南北にかけては武蔵野の領分がはなはだせまい。ほとんどないといってもよい。これは地勢のしからしむるところで、かつ鉄道が通じているので、すなわち「東京」がこの線路によって武蔵野を貫いて直接に他の範囲と連接しているからである。僕・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・しかるにまた大多数の人はそれでは律義過ぎて面白くないから、コケが東西南北の水転にあたるように、雪舟くさいものにも眼を遣れば応挙くさいものにも手を出す、歌麿がかったものにも色気を出す、大雅堂や竹田ばたけにも鍬を入れたがる、運が好ければ韓幹の馬・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・東西南北、前後左右、あるいは大あるいは小、高きあり、ひくきあり、みの亀の尾ひきたるごとき者、臥したる牛の首あげたるごとき者あり、月島星島桂島、踞せるがごときが布袋島なら立てるごときは毘沙門島にや、勝手に舟子が云いちらす名も相応に多かるべし。・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・中 南北朝の頃から堺は開けていた。正平の十九年に此処の道祐というものの手によって論語が刊出され、其他文選等の書が出されたことは、既に民戸の繁栄して文化の豊かな地となっていたことを語っている。山名氏清が泉州守護職となり、泉府と・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
出典:青空文庫