・・・そしてとうとう、すっかり昔のようないいものが出来るようになって、東京大博覧会へも出ましたし、二等賞も取りました。ここまでは、大てい誰でも知っています。新聞にも毎日出ていました。 ところが仲々、お役人方の苦心は、新聞に出ているくらいのもの・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・ゴーリキイが書いている思い出の中に、ロシアに博覧会があったとき袁世凱が来て、いかにも支那大官らしい歩きつきで場内を見物してまわったときの情景がいきいきと描かれている。その時袁世凱がしきりにそこに陳列されていた一つの宝石をほめ、そのほめかたは・・・ 宮本百合子 「兄と弟」
・・・いはじめるのは妙なようだけれども、先頃『現代文学論』の評として書かれた或る文章のなかに、窪川という人は、ひとが皆馬鹿に見えるのじゃないだろうかというような言葉があって、それを読んだとき何だか喫驚した。博覧であるとか、強記であるとかいうことは・・・ 宮本百合子 「作家に語りかける言葉」
・・・ また、菊池寛のかつぎ出したものに対して、白鳥が、保護を拒絶した態度は興味があるけれども博覧な彼もついに見落していることがある。それは、この地球上には世界に比類ない大きい規模で諸芸術を花咲かせ、作家の経済的安定の問題から、住居・健康のこ・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・ 三宅坂、赤坂見つけの桜 大正博覧会 Prince of Wells 宮本百合子 「「伸子」創作メモ(一)」
三月二十七日―四月十三日 自分台処で。きみは林町にやるスエ子の送り迎えのため 博覧会 父の到着 滞在 泉岳寺、第二会場、万国街 青山墓地で倒れたこと。プリンス of Wells の歓迎門などを見る。 Aと林町 ・・・ 宮本百合子 「「伸子」創作メモ(二)」
厭だ厭だと思い乍ら、吉祥寺前の家には、一年と四ヵ月程住んだ。あの家でも、いろいろな事に遭遇した。此の家に移ってからも、二月と経たないうちに、上野で平和博覧会が開かれた。続いて又、プリンス・オブ・ウェルスが四月十二日に来朝さ・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
・・・「どうも 私どもは素人で一向わかりませんですが、主人がいろいろその方の専門家を知って居りますから……いつか博覧会の時でしたか 温室を専門にやった方で 今ではなかなかそちらの方のオーソリティーだという方を知っているのですが……石井さん、き・・・ 宮本百合子 「無題(九)」
出典:青空文庫