・・・ いかにも、そんげえなものには怯えまい、面魂、印半纏も交って、布子のどんつく、半股引、空脛が入乱れ、屈竟な日傭取が、早く、糸塚の前を摺抜けて、松の下に、ごしゃごしゃとかたまった中から、寺爺やの白い眉の、びくびくと動くが見えて、「蜻蛉・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・よごれの無い印半纏に、藤色の伊達巻をきちんと締め、手拭いを姉さん被りにして、紺の手甲に紺の脚絆、真新しい草鞋、刺子の肌着、どうにも、余りに完璧であった。芝居に出て来るような、頗る概念的な百姓風俗である。贋物に違いない。極めて悪質の押売りであ・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・紺の印半纏を裏がえしに着ている。その下に、あずき色のちょっと上等なメリヤスのシャツ。私の変に逆上せている気のせいか、かれの胸が、としごろの娘のように、ふっくらふくらんでいるように見えた。カアキ色のズボン。赤い小さな素足に、板草履をはいている・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・いつもとはちがってその時は人影というものがほとんど見えなくて、ただ片隅のベンチに印半纏の男が一人ねそべっているだけであった。木立の向うにはいろいろの色彩をした建築がまともに朝の光を浴びて華やかに輝いていた。 こんなに人出の少ないのは時刻・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 花火船の艫にしゃがんでいた印半纏の老人は、そこに立ててあった、赤地に白く鍵屋と染め出した旗を抜いて、頭の上でぐるぐると大きく振り廻した。もうおしまいという合図らしい。 船首の技手は筒の掃除をする。若い親方はプログラムを畳む。見物は・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・不動様のお三日という午過ぎなぞ参詣戻りの人々が筑波根、繭玉、成田山の提灯、泥細工の住吉踊の人形なぞ、さまざまな玩具を手にさげたその中には根下りの銀杏返しや印半纏の頭なども交っていて、幾艘の早舟は櫓の音を揃え、碇泊した荷舟の間をば声を掛け合い・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・携帯品預かり所の印半纏の爺さんが「細かいものは風呂敷に包むなり、ポケットへ入れるなりして下さい」と黒山の人の頭越しにどなっている。外套、帽子、襟巻、風呂敷包み、袋、傘、ステッキ。普通携帯品といわれる観念で、それらの品々をあずけた人が、そこか・・・ 宮本百合子 「待呆け議会風景」
・・・晴着らしい印半纏を着ている。傍に折鞄が置いてある。 酒を飲んでは肉を反す。肉を反しては酒を飲む。 酒を注いで遣る女がある。 男と同年位であろう。黒繻子の半衿の掛かった、縞の綿入に、余所行の前掛をしている。 女の目は断えず男の・・・ 森鴎外 「牛鍋」
出典:青空文庫