・・・ それは太陽でした。厳かにそのあやしい円い熔けたようなからだをゆすり間もなく正しく空に昇った天の世界の太陽でした。光は針や束になってそそぎそこらいちめんかちかち鳴りました。 天の子供らは夢中になってはねあがりまっ青な寂静印の湖の岸硅・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・というはっきりした厳かな声がしました。 見るとそれは、銀の冠をかぶった岩手山でした。盗森の黒い男は、頭をかかえて地に倒れました。 岩手山はしずかに云いました。「ぬすとはたしかに盗森に相違ない。おれはあけがた、東の空のひかりと、西・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・ それから戦闘艦隊が三十二隻、次々に出発し、その次に大監督の大艦長が厳かに舞いあがりました。 そのときはもうまっ先の烏の大尉は、四へんほど空で螺旋を巻いてしまって雲の鼻っ端まで行って、そこからこんどはまっ直ぐに向うの杜に進むところで・・・ 宮沢賢治 「烏の北斗七星」
・・・ ある朝、お日様がカツカツカツと厳かにお身体をゆすぶって、東から昇っておいでになった時、チュンセ童子は銀笛を下に置いてポウセ童子に申しました。「ポウセさん。もういいでしょう。お日様もお昇りになったし、雲もまっ白に光っています。今日は・・・ 宮沢賢治 「双子の星」
・・・ さほ子は、頭の中から考えを繰り出すように厳かに云った。「お医者に云われたことにするの。私も一緒に行かなければならないから、留守番が入用るでしょう? あの人じゃ、独りで置けないわ。ね。だから、れんを又呼んで、代って貰うことにするの」・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・今頃は、どの耕野をも満して居るだろう冬枯れの風の音と、透明そのもののような空気の厳かさを想った。底冷えこそするが、此庭に、そのすがすがしさが十分の一でもあるだろうか。 ――間近に迫った人家の屋根や雨に打れ風に曝された羽目を見、自分の立っ・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・ 或る苦痛を感じて死の来るべき事を知った心も我々が思う事は出来ない複雑な物哀れなものである。 厳かな死の手に、かすかに残った生のはげしく争う辛いはかない努力もしず、すなおにスンなりとその手に抱かれた――抱かれる事の出来たのは動かせな・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
去年の九月に、只一人の妹を失った事は、まことに私にとっては大打撃であって、今までに且つて経験した事のない悲しみと、厳かさを感じさせられた。「時」のたゆみない力のために、それについての事々が記憶から、消される時のあるのを・・・ 宮本百合子 「暁光」
・・・その外都会ごとに紫極宮があって、どこでも日を定めて厳かな祭が行われるのであった。長安には太清宮の下に許多の楼観がある。道教に観があるのは、仏教に寺があるのと同じ事で、寺には僧侶が居り、観には道士が居る。その観の一つを咸宜観と云って女道士魚玄・・・ 森鴎外 「魚玄機」
・・・子供ながらもその場の厳かな気込に感じ入って、佇んだままでいた間はどの位でしたか、その内に徳蔵おじが、「奥さまはモウおなくなりなさったから、お暇しなければならない、見納にモウ一度お顔をよく拝んでおけ」と声を曇らしていいました。僕は死ぬるという・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫