・・・あらゆる処女崇拝者の何か厳然と構えているのも或は偶然ではないかも知れない。 又 勿論処女らしさ崇拝は処女崇拝以外のものである。この二つを同義語とするものは恐らく女人の俳優的才能を余りに軽々に見ているものであろう。・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・それはこの時彼等の間へ、軍司令官のN将軍が、何人かの幕僚を従えながら、厳然と歩いて来たからだった。「こら、騒いではいかん。騒ぐではない。」 将軍は陣地を見渡しながら、やや錆のある声を伝えた。「こう云う狭隘な所だから、敬礼も何もせ・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・体操の教官――ある陸軍大尉はいつも僕らには厳然としていた。が、実際の機動演習になると、時々命令に間違いを生じ、おお声に上官に叱られたりしていた。僕はいつもこの教官に同情したことを覚えている。 四四 渾名 あらゆる東京・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ 巡査は儼然として、「職務だ」「だってあなた」 巡査はひややかに、「職掌だ」 お香はにわかに心着き、またさらに蒼くなりて、「おお、そしてまああなた、あなたはちっとも泳ぎを知らないじゃありませんか」「職掌だ」「・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・身を切るような風吹きて霙降る夜の、まだ宵ながら餅屋ではいつもよりも早く閉めて、幸衛門は酒一口飲めぬ身の慰藉なく堅い男ゆえ炬燵へ潜って寝そべるほどの楽もせず火鉢を控えて厳然と座り、煙草を吹かしながらしきりに首をひねるは句を案ずるなりけり。・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・このとき日蓮は厳然として、「国家の安泰、蒙古調伏を祈らんと欲するならば、邪法を禁ずべきである。立正こそ安国の根本だからだ。自分は正法を願うて爵録を慕はない。いづくんぞ、仏勅を以て爵録に換へんや」 かくいい放って誘惑を一蹴した。時宗が嘆じ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・斯のように神仏を崇敬するのは維新前の世間の習慣で、ひとり私の家のみのことではなかったのだが、私の家は御祖母様の保守主義のために御祖父様時代の通りに厳然と遣って行った、其衝に私が当らせられたのでした。畢竟祖父祖母が下女下男を多く使って居た時の・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・見ると、玄関の式台には紋服を着た小坂吉之助氏が、扇子を膝に立てて厳然と正座していた。「いや。ちょっと。」私はわけのわからぬ言葉を発して、携帯の風呂敷包を下駄箱の上に置き、素早くほどいて紋附羽織を取出し、着て来た黒い羽織と着換えたところま・・・ 太宰治 「佳日」
・・・一つとして手がかりの無い儼然たる絶壁に面して立った気持で、私は、いたずらに溜息をもらすばかりであった。私の家の近所に整骨院があって、そこの主人は柔道五段か何かで、小さい道場も設備せられてある。夕方、職場から帰った産業戦士たちが、その道場に立・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・もちろん物理学の場合には自然という客観的存在が厳然として控えているから、たとえ研究の道筋に若干偶然的な変化があっても、最後の収穫は結局同じであるべきだという説が一般には信用されるであろう。そうして人類の歴史との比較は全然不当としてしりぞけら・・・ 寺田寅彦 「物理学圏外の物理的現象」
出典:青空文庫