・・・その後も教授が厳粛な顔をしてこの人の名を呼びかける度に笑いたくなって困ったのであった。 これはずっと後のことであるが、ここへ通いながら纏めた小さな仕事を気象のコロキウムで話すように教授から命ぜられたとき、言葉が下手だからと云って断ったが・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・道太はそう思うと、この事件の全責任が道太に繋っているように言う一部の人たちの言草にも、厳粛にいえば、相当の理由のあることを認めないわけにいかなかった。 道太は温泉へ行こうか、ここに御輿を据えようかと考えていたが、そのうちに辰之助がかけた・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・実例は帝国劇場の建築だけが純西洋風に出来上りながら、いつの間にかその大理石の柱のかげには旧芝居の名残りなる簪屋だの飲食店などが発生繁殖して、遂に厳粛なる劇場の体面を保たせないようにしてしまった。銀座の商店の改良と銀座の街の敷石とは、将来如何・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・どうせ無関係な第三者がひとの艶書のぬすみ読みをするときにこっけいの興味が加わらないはずはないわけであるが、書き手が節操上の徳義を負担しないで済むくろうとのような場合には、この興味が他の厳粛な社会的観念に妨げられるおそれがないだけに、読み手は・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・私のしかつめらしい態度と堂々たる演題とに心を傾けて、ある程度まで厳粛の気分を未来に延長しようという予期のある矢先へ、突然人前では憚るべき異な音を立てられたのでその矛盾の刺激に堪えないからです。この笑う刹那には倫理上の観念は毫も頭を擡げる余地・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・すると、彼女は急に厳粛な眼つきをし、「あら、ここの美味しいのよ」と真顔でいった。彼等は、往来を見ながらそこの小さい店で紅茶とサンドウィッチを食べた。 二 陽子が、すっかり荷物を持って鎌倉へ立ったのは・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・それを生きる現実の姿で味い、学ぶところにこそ文学のつきない面白さ、厳粛さがある。 ここに集められている作品と作家研究は、どれもそこから、明日のためにうけとるべき教訓と価値とを発見しようとして書かれた。従って、それぞれの作品のもっている歴・・・ 宮本百合子 「あとがき(『作家と作品』)」
・・・日ごとにその繰り言を長くし、日ごとに新たな証拠を加え、いよいよ熱心に弁解しますます厳粛な誓いを立てるようになった。誓いの文句などは人のいない時十分考えて用意しているのである。今やかれの心は全く糸の話で充たされてしまった。かれの弁解がいよいよ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・アフリカの民族は快活で、多弁で、楽天的であるが、しかしその精神的な表現の様式は、今日も昔も同じくまじめで厳粛である。この様式もいつの時かに始まり、そうして後に固定したものに相違ない。が、その謎めいて古い起源が我々には魔力的に感ぜられるのであ・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
・・・彼は物的価値以外を知らないためにすべてをこの価値によって律しようとし、最も厳粛な生の問題をさえもそういう心情の方へ押しつけて行きました。そういう罪過はいろいろな形で彼に報いに来ました。がしかし、彼はその苦悩の真の原因を悟る事ができないのでし・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫