・・・雁やつばめの去来は昔の農夫には一種の暦の役目をもつとめたものであろう。 野獣の種類はそれほど豊富ではないような気がする。これは日本が大陸と海で切り離されているせいではないかと思われる。地質時代に朝鮮と陸続きになっていたころに入り込んでい・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・で芭蕉去来凡兆の三重奏を取ってみる。これでも芭蕉のは活殺自由のヴァイオリンの感じがあり、凡兆は中音域を往来するセロ、去来にはどこか理知的常識的なピアノの趣がなくはない。 しかしこういう見立てのようなことはもちろん見る人によっていろいろち・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 凡門巷を過行く行賈の声の定めがたきは、旦暮海潮の去来するにもたとえようか。その興るに当っては人の之に意を注ぐものなく、その漸く盛となるや耳に熟するのあまり、遂にその消去る時を知らしめない。服飾流行の変遷も亦門巷行賈の声にひとしい。・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・芭蕉とその門人去来東花坊の如き皆然りで、独西鶴のみではない。試に西鶴の『五人女』と近松の世話浄瑠璃とを比較せよ。西鶴は市井の風聞を記録するに過ぎない。然るに近松は空想の力を仮りて人物を活躍させている。一は記事に過ぎないが一は渾然たる創作であ・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・けだし天は俳諧の名誉を芭蕉の専有に帰せしめずしてさらに他の偉人を待ちしにやあらん。去来、丈草もその人にあらざりき。其角、嵐雪もその人にあらざりき。五色墨の徒もとよりこれを知らず。新虚栗の時何者をか攫まんとして得るところあらず。芭蕉死後百年に・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・追憶の文章を流暢に書きすすめるとき、逸見氏の胸中に去来したのは、いかなる思いであったろうか。 野呂を尊敬し、後進する人間的な社会理念にとってその生きかたこそ一つの鼓舞であると感じることが真実であるならば、逸見氏は、どうして知識人の勇気を・・・ 宮本百合子 「信義について」
・・・例えば、このごろの上下の衆のもどらるゝ 去来腰に杖さす宿の気ちがひ 芭蕉二の尼に近衛の花のさかりきく 野水蝶はむぐらにとばかり鼻かむ 芭蕉芥子あまの小坊交りに打むれて・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・をもって暮している松山くにの胸の中には、やはり、十二の子供にはない思いが去来している。「お母さんの入室」「かいせん焼」「碁」「月蝕」「草履つくり」「着物のがら」「一本松」「目」「鼻」「悪口」「闇取引き」「散歩」などじっくりよむと、文章をあふ・・・ 宮本百合子 「病菌とたたかう人々」
・・・ もし私に煙草がふかせたら、きっとここいらで一服火をつけ、さておもむろににやにやしたであろうような情感が、今私の心のうちを去来している。それは、この「風雲」の作者はこれまで多くの評論をかいて来ているから、この一篇の小説の遭遇するであろう・・・ 宮本百合子 「文学における古いもの・新しいもの」
出典:青空文庫