・・・浅草の観音菩薩は河水の臭気をいとわぬ参詣者にのみ御利益を与えるのかも知れない。わたくしは言問橋や吾妻橋を渡るたびたび眉を顰め鼻を掩いながらも、むかしの追想を喜ぶあまり欄干に身を倚せて濁った水の流を眺めなければならない。水の流ほど見ているもの・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・「六時に起きて、七時半に湯から出て、八時に飯を食って、八時半に便所から出て、そうして宿を出て、十一時に阿蘇神社へ参詣して、十二時から登るのだ」「へえ、誰が」「僕と君がさ」「何だか君一人りで登るようだぜ」「なに構わない」・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・然るに本文の意を案ずるに、歌舞伎云々以下は、家の貧富などに論なく、唯婦人たる者は芝居見物相成らず、鳴物を聴くこと相成らず、年四十になるまでは宮寺の参詣も差控えよとて、厳しく婦人に禁じながら、暗に男子の方へは自由を与えたるものゝ如し。左れば人・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・軽井沢に一泊して善光寺に参詣してそれから伏見山まで来て一泊した。これは松本街道なのである。翌日猿が馬場という峠にかかって来ると、何にしろ呼吸病にかかっている余には苦しい事いうまでもない。少しずつ登ってようよう半腹に来たと思う時分に、路の傍に・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・ 参詣人の大群は、日和下駄をはき、真新しい白綿ネルの腰巻きをはためかせ、従順にかたまって動いているが、あの夥しい顔、顔が一つも目に入らず、黄色や牡丹色の徽章ばっかりが灰色の上に浮立ち動いているのは、どうしたものだろう。数が多すぎるばかり・・・ 宮本百合子 「上林からの手紙」
・・・善光寺下という電鉄の駅でおりたら陸続として黄色の花飾りを胸につけた善男善女が参詣を終ってやって来る。四十以上の善女が多い。今は付近の小管という家で名物のおそばをたべようというところです。寺はつまらぬ。長野という町は山々を背に何となく明るい雰・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・「茶屋の女中が、偶然往来で私を見かけ、『お暑いのに御参詣でございますか』と愛素を云った。 私が、可なり屡々彼の墓参にゆくのは、彼の冥福を祈る為ではない。全く反対だ。私は、欅の木の蔭に建っている墓標の下から、彼を呼び起そう・・・ 宮本百合子 「文字のある紙片」
・・・ 寺でも主簿のご参詣だというので、おろそかにはしない。道翹という僧が出迎えて、閭を客間に案内した。さて茶菓の饗応が済むと、閭が問うた。「当寺に豊干という僧がおられましたか」 道翹が答えた。「豊干とおっしゃいますか。それはさきころまで・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・八王子を経て、甲斐国に入って、郡内、甲府を二日に廻って、身延山へ参詣した。信濃国では、上諏訪から和田峠を越えて、上田の善光寺に参った。越後国では、高田を三日、今町を二日、柏崎、長岡を一日、三条、新潟を四日で廻った。そこから加賀街道に転じて、・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・――彼らが朝夕その偶像の前に合掌する時、あるいは偶像の前を回りながら讃頌の詩経を誦する時、彼らの感激は一般の参詣者よりもさらに一層深かったに相違ない。 私はこの種の僧侶のうち、特に天分の豊かであった少数のものが、単に「受くる者」「味わう・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
出典:青空文庫