・・・それには表に ビジテリアン大祭次第挙祭挨拶論難反駁祭歌合唱祈祷閉式挨拶会食会員紹介余興 以上と刷ってあり私たちがそれを受け取った時丁度九時五分前でした。 式場の中はぎっしりでした。そ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・に対する批評に向って反駁的、勝者的気分で書かれている同氏の「悪作家より」でその気分は極めて率直と云えば率直、高飛車と云えば高飛車に云われているのである。 石坂氏のように、さア、返事はどうだというような気持も、主観的には壮快なるものがある・・・ 宮本百合子 「落ちたままのネジ」
・・・ けれども、私が斯う申すと、きっと或人は反駁して、「私はお前の云う通り、女性を高い位地にまで上げて認めようと為る、又認めたいと思う。従って教育も男子と同等にさせてやり度いとも思う。然し考えて見なさい、日本の女性の裡に幾人、大学教育を受け・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・と同席の本多秋五が反駁して発言している。「人間というものは、だんだん部分品になってゆくものだから、部分品が全部噛み合わさった状態における人間というようなことを考えるのは大へんな難事業ですから、部分品としての消閑慰安の具となれば、それだけで社・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
八月七日の本紙に、伊藤整氏が同氏の作「幽鬼の町」に就て書いた私の月評に反駁した文章を発表された。編輯者は、私からそれに答える文を求めている。生活及文学に対する私の態度を盲目的な偏執又は非芸術的な機械性と云われている点や錯覚・・・ 宮本百合子 「数言の補足」
・・・たまの休日は家へかえって本を読め、ということに対して、学生が反駁する心持も一般人の心として、十分肯けるものがあると思う。年中有意義無意義に繁忙で、本を読む時間も沈思する時間も持たない日常のひとたちは、全くたまの休みには家へかえって本でも読む・・・ 宮本百合子 「「健やかさ」とは」
・・・という反駁の論文で、熱烈に文学の純芸術性という観念を保守した。ところが、その純芸術性という観念は、本質においては、社会的表現としての芸術が政治的にもつ意味という点に全く無知であった。その証明として、今度の第二次世界大戦に参加した日本の非道な・・・ 宮本百合子 「生活においての統一」
・・・作家の目が、より複雑に現実を理解し洞察するためには、科学的に社会をみる世界観が必要であるという事実を過小評価して、世界観だけで文学がつくれるか、というふうな、いいがかりのように反駁を主張することは、はたして文学者らしい聰明さでしょうか。どこ・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・を、同志林は『改造』二月号の文芸時評において、同志神近市子は『日日新聞』月評において、それぞれ反駁、批判を発表した。 私は、これらの反駁、批判を注意ぶかく読んで、自身の論文について多くのことを学んだと同時に、それらの反駁、批判それぞれが・・・ 宮本百合子 「前進のために」
・・・と批判したのを反駁して徳永が労働者階級の文学の革命性というものが具体的に、こんにちまでどんな経路をたどって来たかを主張している討論である。このアンケート用に整理されている徳永の議論を、同じ号にのっている座談会記事「勤労者の文学をどう前進させ・・・ 宮本百合子 「その柵は必要か」
出典:青空文庫