・・・ このような事は別に取り立てて言うほどでないかもしれぬがしかしこの主観を無視する程度は人間の文明の程度によってだんだんに変化して来るものである。絵画に陰影を施しあるいは透視画法を用いる事はある国民には普通であるのに他の国民には容易に了解・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・けれども、その位の努力は誰でも払うものだときまっているとすれば、それは取立て苦心とは云えないものだと思います。その上、苦心などという事は、全く主観的のものであって、生れつき文芸好きな私自身は、創作には準備の場合にも推敲の場合にも、苦しいどこ・・・ 宮本百合子 「処女作より結婚まで」
・・・「いや、それっくらいのことは取立てて云う程のこっちゃねえ。が、この店で靴や金を盗みでもしようものなら、よしか、お前を監獄へ叩き込んで、大人になる迄出られねえようにしてやる!」 ゴーリキイは、一層主人がいやになった。玄関番をして立ちな・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・大阪商人の富は、封建領主達が領地の農民から取立てていた米を廻漕し、その収穫と収穫との間に金銭の立替をして利をとりやがて集めた米を土台に相場をして、政治的には支配者であった武士の経済を本質的に大坂の商人が掌握しはじめたことで増大して行った。・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・数馬は御先代が出格のお取立てをなされたものじゃ。ご恩報じにあれをおやりなされいと言われた。もっけの幸いではないか」「ふん」と言った数馬の眉間には、深い皺が刻まれた。「よいわ。討死するまでのことじゃ」こう言い放って、数馬はついと起って館を・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫