・・・二人の娘たちに対して、受け身に、曖昧に、謂わばイレーネに見つけられたという工合でのモメントにおいて、自分の恋愛や結婚を語らないでも、もっと本当の愛情からの娘たちへわからせてゆく知慧の働きはあったと思う。働いて、たたかって、そして子供らを愛し・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・ヨーロッパの風俗で、夜会などで一つ踊るにも女は男の選択に対して受け身の積極性を発揮しなければならないようなところでは、先の警句も、それなり通じた面もあろう。いわば近代的な後宮の女性めいた関係なのであるから。私たちの周囲で、女同士の友情を信じ・・・ 宮本百合子 「異性の間の友情」
・・・ 現在おかれている有様は受け身の警戒の形なのだが、その犬の心としては主張するところをもっていて、犬の身になってみれば何となしそれが尤もでありそうな、そういう表情が、毛のささくれた穢れた体に漲っている。敵意に充ちているけれども卑屈な表情は・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・どういう男女の間から生れてもそれは人間の一人の子供であって、“生れた”という言葉は絶対にこの世に現われた子供が自分で自分を生んだのではなくて受身にこの世に送り出された関係を語っています。まして私生子というような区別を戸籍の上にさえおかない様・・・ 宮本百合子 「“生れた権利”をうばうな」
・・・などでも、この社会で受身な負担のにない手である女の苦しい感情が母性愛といういろどりで描かれている。こういう映画が外国でも人々の涙を誘うのであって見れば、そこでも女の生活は、恋愛の面においてもいろいろの苦しいものを持っていることが察せられる。・・・ 宮本百合子 「映画の恋愛」
・・・を必死に否定してあらゆる矛盾した外部の状況に受身に、無判断に盲従することを「民心一致」と強調した責任は、どこにあっただろうか。馬一匹よりもやすいものと命ぐるみ片ぱしから引っぱり出されたのは、人民である。やっと生きて帰って来た世間が冷たいのも・・・ 宮本百合子 「女の手帖」
・・・この複雑多岐で社会の事情万端数ヵ月のうちに大きく推移してゆくような時代に生き合わせて、受け身に只管失敗のないよう、間違いないようとねがいつつ女の新しい一歩を歩み出そうとしたって、自身の未熟さを思えばそれは手も足もどこに向って伸してよいか分ら・・・ 宮本百合子 「女の歴史」
・・・ 彼等は、文学をもうただ専門家に書いて貰って読むというだけの、受け身な立場で考えなくなった。世界の資本主義に対して、プロレタリアートの勝利、社会主義ソヴェトの生産は現実に盛りあがって来つつある。この歴史的時期に、プロレタリア文学は、ソヴ・・・ 宮本百合子 「「鎌と鎚」工場の文学研究会」
・・・と、いずれかと云えばありふれすぎる市民の感情で世間とは受け身に対している。 幽鬼の「街と村」とは、後篇の抒情性そのものさえごく観念的にまとめあげられている作品であるから、その作品の世界のなかでいくつかの断崖をなしている観念の矛盾はおのず・・・ 宮本百合子 「観念性と抒情性」
・・・このことから経済も受け身で、働く男のいなくなったときの海辺の女の暮しというものが一層思いやられるところもあるのである。 十一月号の『漁村』には、各県の漁業の合理化の方策がのせられていて、婦人に関する項目として、陸上の仕事はなるたけ婦人に・・・ 宮本百合子 「漁村の婦人の生活」
出典:青空文庫