・・・洋一はある日慎太郎と、トランプの勝敗から口論をした。その時分から冷静な兄は、彼がいくらいきり立っても、ほとんど語気さえも荒立てなかった。が、時々蔑むようにじろじろ彼の顔を見ながら、一々彼をきめつけて行った。洋一はとうとうかっとなって、そこに・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ ――街の剃頭店主人、何小二なる者は、日清戦争に出征して、屡々勲功を顕したる勇士なれど、凱旋後とかく素行修らず、酒と女とに身を持崩していたが、去る――日、某酒楼にて飲み仲間の誰彼と口論し、遂に掴み合いの喧嘩となりたる末、頸部に重傷を負い・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・ そちは何か数馬を相手に口論でも致した覚えはないか?」「口論などを致したことはございませぬ。ただ………」 三右衛門はちょっと云い澱んだ。もっとも云おうか云うまいかとためらっている気色とは見えない。一応云うことの順序か何か考えているら・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・ やがて、隣りから口論しているらしい気配が洩れて来た。暫らくすると、女の泣き声がきこえた。男はぶつぶつした声でなだめていた。しまいには男も半泣きの声になった。女はヒステリックになにごとか叫んでいた。 夕闇が私の部屋に流れ込んで来た。・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・うしても勘弁がならんのだ』と、それから巻舌で長々と述べ立てましたところを聞きますと、つまりこうなんです、藤吉がその日仲間の者四五人と一しょにある所で一杯やりますと、仲間の一人がなんかのはずみから藤吉と口論を初めました。互いに悪口雑言をし合っ・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・何か口論をしていた。「おい、あっちへやれ。」 大隊長はイワン・ペトロウイチに云った。「あの人がたまになっとる方だ。」 馬は、雪の上を追いまわされて疲れ、これ以上鞭をあてるのが、イワンには、自分の身を叩くように痛く感じられた。彼は・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・女房の方では少しもそんなことは知らないでいたが、先達ある馬方が、饅頭の借りを払ったとか払わないとかでその女房に口論をしかけて、「ええ、この狐め」「何でわしが狐かい」「狐じゃい。知らんのか。鏡を出してこの招牌と較べてみい。間抜けめ・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・父の死は肺病の為でもあったのですが、震災で土佐国から連れてきた祖父を死なし、又祖父を連れてくる際の、口論の為、叔父の首をくくらし、また叔父の死の一因であった従弟の狂気等も原因して居たかも知れません。加えて、兄のソシャリストになった心痛もあっ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・よく居酒屋の口論などで、ひとりが悲憤してたけり立っているのに、ひとりは余裕ありげに、にやにやして、あたりの人に、「こまった酒乱さ」と言わぬばかりの色目をつかい、そうして、その激昂の相手に対し、「いや、わるかったよ、あやまるよ、お辞儀をします・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・「おめえとはここで口論したくねえんだ。どっちも或る第三者を計算にいれてものを言っているのだからな。そうだろう?」何か私の知らない仔細があるらしかった。 佐竹は陶器のような青白い歯を出して、にやっと笑った。「もう僕への用事はすんだのかね?・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
出典:青空文庫