・・・ 不平と猜忌と高慢とがその眼に怪しい光を与えて、我慢と失意とが、その口辺に漂う冷笑の底に戦っていた。自分はかれが投げだしたように笑うのを見るたびに泣きたく思った。『国会がどうした? ばかをいえ。百姓どもが集まって来たって何事をしでか・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・とぐろとは無礼千万なりと思えども、相手は身のたけ六尺、松の木の腕なれば、老生もじっと辛抱仕り候て、あいまいの笑いを口辺に浮べ、もっぱら敬遠の策を施し居り候。しかるに杉田老画伯は調子に乗り、一体この店には何があるのだ、生葡萄酒か、ふむ、ぶてい・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・――片頬笑みが陽子の口辺に漂った。途端、けたたましい叫び声をあげて廊下の鸚哥があばれた。「餌がないのかしら」 ふき子が妹に訊いた。「百代さん、あなたけさやってくれた?」 百代は聞えないのか返事しなかった。「よし、僕が見て・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・キラキラとひかるこまかいあみの中から瑪瑙の様な目は鏡の中のあみの中にある目と見合わせて口辺にはまっさおの笑をたたえて居る。特別に作られた女の不思議な姿を朝の光はいっぱいにさして居た。 目の辺に黒いかげはなく頬に茶色のしみもない特別に作ら・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・ そのひとはまた美しい髪をゆするようにして軽い笑を口辺に浮べて黙っている。 偶然話の合間に云われた一語に執してものを云うとなれば意地わるのようでもあるが、それでも私には何だかこの若いひとの一語とそれの云われた態度とはつよい感銘であっ・・・ 宮本百合子 「女の歴史」
・・・戦時利得税、財産税についての解説一つでも真面目に聴いたらば、人民は、曖昧な日本的薄笑いを口辺に浮べてはいないと思う。貿易局の頭に三井財閥を坐らせている政府。銀行、大企業が、9/10を所有している戦時公債を、財産税でとりあげた人民の金で償還し・・・ 宮本百合子 「逆立ちの公・私」
商売は道によってかしこし。こういう言葉がある。さすが専門にそれを研究しているものは見事なものだ、という意味もいくらかふくまれているだろう。しかし、この言葉が云われるとき人々はその口辺に一寸薄笑いを浮べる。からくりはお手のも・・・ 宮本百合子 「商売は道によってかしこし」
出典:青空文庫