・・・「でも只今これだけしか無いのですから……」「だって先刻用意してあると言ったじゃないか」「ですから三円だけ漸々作らえましたから……」「そうお。漸々作らえておくれだったのか。お気の毒でしたね、色々御心配をかけて。必定七屋からでも・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・「誰だ?」と老先生が怒鳴った。「私で御座います。細川で御座います」「此方へ入らんで何をしているのか、用があるからちょっと来い!」「唯今」と校長が起とうとした時、梅子は急に細川の顔を見上げた、そして涙がはらはらとその膝にこぼれ・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・と恐縮して応ずると、「只今聞かるる通り。就ては此方より人を差添え遣わす。貴志ノ余一郎殿、安見宅摩殿、臙脂屋と御取合下されて、万事宜敷御運び下されい。ただし事皆世上には知られぬよう、臙脂屋のためにも此方のためにも、十二分に御斟酌あられ・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・婆さんは大きな皿を手に持ったまま、大塚さんの顔を眺めて、「旦那様は御塩焼の方が宜しゅう御座いますか。只今は誠に御魚の少い時ですから、この鰈はめずらしゅう御座いますよ。鰹に鰆なぞはまだ出たばかりで御座いますよ」 こう言って主人の悦ぶ容・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・わたくしはその男の妻だと、只今まで思っていた女です。わたくしはあなたの人柄を推察して、こう思います。あなたは決して自分のなすった事の成行がどうなろうと、その成行のために、前になすった事の責を負わない方ではありますまい。又あなたは御自分に対し・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・御配慮恐入ります。只今校了をひかえ、何かといそがしくしております。いずれ。匆々。相馬閏二。」 月日。「近頃、君は、妙に威張るようになったな。恥かしいと思えよ。いまさら他の連中なんかと比較しなさんな。お池の岩の上の亀の首みたいなと・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・社会の先覚者をもって任じているはずの新聞雑誌の編輯者達がどうして今日唯今でもまだ学位濫授を問題にし、売買事件などを重大問題であるかのごとく取扱うかがちょっと不思議に思われるのである。学位記というものは、云わば商売志願の若者が三年か五年の間あ・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・ 議長が、それでは唯今の何とかを取消します、というたようであった。すると、また隅々からわあっという歓声とも怒号とも分らぬ声が聞こえた。 和服を着た肥った老人が登壇した。何か書類のようなものを鷲握みにして読みはじめたと思ったらすぐ終っ・・・ 寺田寅彦 「議会の印象」
・・・私は何かにつけてケアレスな青年であったから、そのころのことは主要な印象のほかは、すべて煙のごとく忘れてしまったけれど、その小さい航海のことは唯今のことのように思われていた。その時分私は放縦な浪費ずきなやくざもののように、義姉に思われていた。・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・ 同志諸君の貴重なる生命が、腐敗した罐詰の内部に、死を待つために故意に幽閉されてあるという事実に対して、山田常夫君と、波田きし子女史とは所長に只今交渉中である。また一方吾人は、社会的にも世論を喚起する積りである。同志諸君、諸君も内部において・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
出典:青空文庫