・・・ 痛ましげな微笑は頬の辺りにただよい、何とも知れない苦しげな叫び声は唇からもれた。『梅子はもうおれに会わないだろう』かれは繰り返し繰り返し言った。『しかしなぜだろう、こんなに急に変わるたア何のことだろう。なぜおれに会えないだろう、な・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・が、赤ン坊の叫び声はなかった。分娩のすんだトシエは、細くなって、晴れやかに笑いながら、仰向に横たわっていた。ボロ切れと、脱脂綿に包まれた子供は、軟かく、細い、黒い髪がはえて、無気味につめたくなっていた。全然、泣きも、叫びもしなかった。「・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・ 突然、先生はけたたましい叫び声を上げた。「やあ! 君、山椒魚だ! 山椒魚。たしかに山椒魚だ。生きているじゃないか、君、おそるべきものだねえ。」前世の因縁とでも言うべきか、先生は、その水族館の山椒魚をひとめ見たとたんに、のぼせてしま・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・ という奇妙な叫び声を挙げました。あなたもずいぶん滅茶なひとだと思いました。お葉書に書いてはございましたが、まさかと思って、少しもあてにはしていなかったのです。あなたの年代の作家たちは、へんに子供みたいに正直ですね。私は呆れて、立ち上ったら・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・木々のさわぐ音にまじってけだものの叫び声が幾度もきこえた。 日が暮れかけて来たのでひとりで夕飯を食った。くろいめしに焼いた味噌をかてて食った。 夜になると風がやんでしんしんと寒くなった。こんな妙に静かな晩には山できっと不思議が起るの・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・ という叫び声が。 私は、もちろん驚いた。尻餅をつかんばかりに、驚いた。人喰い川を、真白い全裸の少年が泳いでいる。いや、押し流されている。頭を水面に、すっと高く出し、にこにこ笑いながら、わあ寒い、寒いなあ、と言い私のほうを振り向き振り向・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・すると、その叫び声はいよいよ高くなりますし、誰か来てくれ! と言う声が聞こえますから、来てみたんです。脚気ですナ、脚気衝心ですナ」 「衝心?」 「とても助からんですナ」 「それア、気の毒だ。兵站部に軍医がいるだろう?」 「い・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・床の中へもぐり込んで聞くと、松の梢か垣根の竹か、長く鋭い叫び声を立てる。このような夜に沖で死んだ人々の魂が風に乗り波に漂うて来て悲鳴を上げるかと、さきの燐火の話を思い出し、しっかりと夜衣の袖の中に潜む。声はそれでも追い迫って雨戸にすがるかと・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・また掏摸にすられた中ばあさんが髪をくくりながら鼻歌を歌っているうちに手さげの中の財布の紛失を発見してけたたましい叫び声を立てるが、ただそれだけである。これもアメリカトーキーだとここでなんとか一つ取っておきのせりふを言わせて、そうしてアメリカ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・その時のおおぎょうな甲高い叫び声が狩り場の群犬のほえ声にそっくりであるのは故意の寓意か暗合かよくわからない。この三人が、姫君のためにはハッピーエンド、彼らの目には悲劇であるかもしれない全編の終局の後に、短いエピローグとして現われ、この劇の当・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
出典:青空文庫