・・・いちばん御拝の長かったは母上で、いちばん神様の御気に召したかと思われるはせいちゃんのであった。一順すむと祭壇の菓子を下げて子供等に頂かせる。我も一度はこの御頂きをうれしがった事を思い出してその頃の我なつかしく、端坐したまう父母の鬢の毛の白い・・・ 寺田寅彦 「祭」
・・・ぜんざいを召したまえる桓武天皇の昔はしらず、余とぜんざいと京都とは有史以前から深い因縁で互に結びつけられている。始めて京都に来たのは十五六年の昔である。その時は正岡子規といっしょであった。麩屋町の柊屋とか云う家へ着いて、子規と共に京都の夜を・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・そこで家を持って下婢共を召し使った事は忘れて、ただ十年前大学の寄宿舎で雪駄のカカトのような「ビステキ」を食った昔しを考えてはそれよりも少しは結構? まず結構だと思っているのさ。人は「カムバーウェル」のような貧乏町にくすぼってると云って笑うか・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・「平田さん、お草履を召していらッしゃい」と、お梅は戻ッて上草履を持ッて、見返りもせぬ平田を追ッかけて行く。「兄さん」と、吉里は背後から西宮の肩を抱いて、「兄さんは来て下さるでしょうね。きッとですよ、きッとですよ」 西宮は肩へ掛け・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・』と、うッて変った優しい御声は、洋服を召した気高い貴婦人が其処に来掛って、あの可哀相な女の人をお呼止めになったのでした。『あなた、御寒う御座いますから、失礼ですが、其御子に掛けてあげて下さい。』 貴婦人は見事な肩掛を、赤さんへお掛け・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・「岡本さんも一緒に召し上れよ」「はあ、私あちらでいただきますから」 陽子の部屋に比べると、海岸に近いだけふき子の家は明るく、眩ゆい位日光が溢れた。ふき子は、縁側に椅子を持ち出し、背中を日に照らされながらリボン刺繍を始めた。陽子は・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・なかたで却って妹様ばかり御苦労なさって居らっしゃるんでございますからねー、空は晴れてもまだ雪の消えなくて空と土面との境はうす紅とうす紫にかすんで、残った雪の銀のようにかがやく月に奥床しいかざりの女車に召して御出になったのでございます。そして・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・ 兄九郎兵衛一友は景一が嫡子にして、父につきて豊前へ参り、慶長十七年三斎公に召しいだされ、御次勤仰つけられ、後病気により外様勤と相成り候。妙解院殿の御代に至り、寛永十四年冬島原攻の御供いたし、翌十五年二月二十七日兼田弥一右衛門とともに、・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ 太田は別に思案もないので、佐佐に同意して、午過ぎに東町奉行稲垣をも出席させて、町年寄五人に桂屋太郎兵衛が子供を召し連れて出させることにした。情偽があろうかという、佐佐の懸念ももっともだというので、白州へは責め道具を並べさせることにした・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・列のかしらは軍装したる国王、紅衣のマイニンゲン夫人をひき、つづいて黄絹の裙引衣を召したる妃にならびしはマイニンゲンの公子なりき。わずかに五十対ばかりの列めぐりおわるとき、妃は冠のしるしつきたる椅子に倚りて、公使の夫人たちをそばにおらせたまえ・・・ 森鴎外 「文づかい」
出典:青空文庫