・・・が、ほかに仕事のないお蓮は、子供のように犬を可愛がった。食事の時にも膳の側には、必ず犬が控えていた。夜はまた彼女の夜着の裾に、まろまろ寝ている犬を見るのが、文字通り毎夜の事だった。「その時分から私は、嫌だ嫌だと思っていましたよ。何しろ薄・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・だから軍医官でも何でも、妙にあいつが可愛いかったと見えて、特別によく療治をしてやったらしい。あいつはまた身の上話をしても、なかなか面白い事を云っていた。殊にあいつが頸に重傷を負って、馬から落ちた時の心もちを僕に話して聞かせたのは、今でもちゃ・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・こう可愛がられても肝べ焼けるか。可愛い獣物ぞい汝は。見ずに。今にな俺ら汝に絹の衣装べ着せてこすぞ。帳場の和郎(彼れは所きらわず唾が寝言べこく暇に、俺ら親方と膝つきあわして話して見せるかんな。白痴奴。俺らが事誰れ知るもんで。汝ゃ可愛いぞ。心か・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・お母さんがいくら八っちゃんは弟だから可愛がるんだと仰有ったって、八っちゃんが頬ぺたをひっかけば僕だって口惜しいから僕も力まかせに八っちゃんの小っぽけな鼻の所をひっかいてやった。指の先きが眼にさわった時には、ひっかきながらもちょっと心配だった・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・……医師と遁げた、この別嬪さんの使ですかい、きみは。……ぼくは店用で行って知ってるよ。……果報ものだね、きみは。……可愛がってくれるだろう。雪白肌の透綾娘 と言やあがった…… その透綾娘は、手拭の肌襦袢から透通った、肩を落して、裏の・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ などと頻りに小言を云うけれど、その実母も民子をば非常に可愛がって居るのだから、一向に小言がきかない。私にも少し手習をさして……などと時々民子はだだをいう。そういう時の母の小言もきまっている。「お前は手習よか裁縫です。着物が満足に縫・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ほんとに娘をもつ親の習いで、化物ばなしの話の本の中にある赤坊の頭をかじって居るような顔をした娘でも花見だの紅葉見なんかのまっさきに立ててつきうすの歩くような後から黒骨の扇であおぎながら行くのは可愛いいのを通りすぎておかしいほどだ。それだのに・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・お貞が二人の子供を実子のように可愛がり、また自慢するのが近処の人々から嫌われる一原因だと聴いていたから、僕はそのつもりであしらっていた。「どうも馬鹿な子供で困ります」と言うのを、「なアに、ふたりとも利口なたちだから、おぼえがよくッて・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ジャレ付くのが可愛いような犬ではなかったが、二葉亭はホクホクしながら、「こらこら、畳の上が泥になる、」と細い眼をして叱りつけ、庭先きへ追出しては麺麭を投げてやった。これが一日の中の何よりの楽みであった。『平凡』に「……ポチが私に対うと……犬・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・しかし人間の子でなくても、なんというやさしい、可愛らしい顔の女の子でありましょう」と、お婆さんは言いました。「いいとも何んでも構わない、神様のお授けなさった子供だから大事にして育てよう。きっと大きくなったら、怜悧ないい子になるにちがいな・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
出典:青空文庫