・・・殊に第二軍司令部附であった記者は、大山大将が一処に帰ろといわれたのを聴かずに先へ帰って来て実にいまいましい訳だ、と悔んで居た。乗合一同皆思案にくれて居る中、午後四時頃になって一道の光明は忽ち暗中に輝いて見えた。それは、上陸の許否は分らぬがと・・・ 正岡子規 「病」
・・・ショウモンの砲台にはヴェルダン司令部があった。 飲料の貯水池が砲台の奥にあって、撃破されたコンクリートの天井が黒い澱み水の上に墜ちかかっているのが、ランターンのちらつく不安定な灯かげの輪のなかに照らし出されて来る。 グーモンへ着いた・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
・・・ 連合軍司令部は、総選挙の結果によっては、もう一度議会を解散させる方針であるということを、アメリカの新聞から伝えられました。 私たちが、まだ十分自覚し用意していないすきに乗じて、再び人民に軛をかける金持、地主、ダラ幹の政党が、バッコ・・・ 宮本百合子 「幸福のために」
・・・ 階級闘争としての戦争=帝国主義の侵略に対して、社会主義を防衛する戦争においては、軍事司令部だけが働くのではない。党の政治部は、例えば、「チャパーエフ」を読んでもよくわかるように、闘争の重大な理論的指導の任務を帯びる。 ソヴェトのプ・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・当時連合軍総司令部から発表された指令の一つ一つをかえりみてもそれは明瞭であるし、日本政府も、このことを好まないにかかわらず、日本の民主化は世界によって課せられた義務であると理解した。いろいろとんちんかんなことはあったにしろ、大局において日本・・・ 宮本百合子 「三年たった今日」
・・・十二月五日『東京新聞』に総司令部の人権擁護班長ガートスタイナー氏が人権宣言の趣旨について語っていた。「人権とは政治的自由だけを指すものではなく、さらに働く権利、社会保障をうける権利、相当な生活水準を維持する権利などの社会的経済的諸権利をも含・・・ 宮本百合子 「世界は求めている、平和を!」
・・・福田戒厳令司令官が山梨に代ったのもこの理由であったのだ。他二名は誰か、又どうして殺したか、所持品などはどうされたか。 高津正道、佐野学、山川均菊栄氏等もやられたと云う噂あり。実に複雑な世相。一部の人々は皆この際やってしまう方がよいと云う・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・そう思って、「争議団司令部」という大きなはり紙をした二階の手摺のところへ、新聞社写真班のために、わざわざ並んだ幹部たちの写真を眺めいるのであった。〔一九三四年十月〕 宮本百合子 「電車の見えない電車通り」
・・・十月四日、連合軍総司令部の指令によって、治安維持法の撤廃、政治犯人の釈放、言論、出版、集会の自由が命令された。十月十〔四〕日、宮本が網走刑務所から解放されて東京へ帰ってきた。府中刑務所の予防拘禁から解放された徳田球一その他の同志たち・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・父の死後母は熱心な王党員である司令副官と結婚し、この一家とマリイ・アントワネットのきずなは、アントワネットが断頭台にのぼる前、ロオルの母に自分の髪飾りと耳輪とを形見に与えた程深いものであった。 そのような環境の中に幼時を経た頭の鋭い感傷・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
出典:青空文庫