・・・ どこへ行こうというあてもなく、駅のほうに歩いて行って、駅の前の露店で飴を買い、坊やにしゃぶらせて、それから、ふと思いついて吉祥寺までの切符を買って電車に乗り、吊皮にぶらさがって何気なく電車の天井にぶらさがっているポスターを見ますと、夫・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・かれの吉祥寺の家は、実姉とその旦那さんとふたりきりの住居で、かれがそこの日当りよすぎるくらいの離れ座敷八畳一間を占領し、かれに似ず、小さくそそたる実の姉様が、何かとかれの世話を焼き、よい小説家として美事に花咲くよう、きらきら光るストオヴを設・・・ 太宰治 「喝采」
・・・ と七歳の長女は得意顔で、「お母さんと一緒に吉祥寺へ行って、買って来たのよ」「それは、よかったねえ」 と父は子供には、あいそを言い、それから母に向って小声で、「高かったろう。いくらだった?」 千いくらだったと母は答え・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・鬚を剃り大いに若がえって、こんどは可成りの額の小遣銭を懐中して、さて、君の友人はどこにいるか、制服制帽を貸してくれるような親しい友人はいないか、と少年に問い、渋谷に、ひとりいるという答を得て、ただちに吉祥寺駅から、帝都電鉄に乗り、渋谷に着い・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ 私は丸山君を吉祥寺駅まで送って行って、帰途、公園の森の中に迷い込み、杉の大木に鼻を、イヤというほど強く衝突させてしまった。 翌朝、鏡を見ると、目をそむけたいくらいに鼻が赤く、大きくはれ上っていて、鬱々として楽しまず、朝の食卓につい・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・ 吉祥寺の駅の前でわかれたが、わかれる時に僕は苦笑しながら尋ねた。「いったい、どんな画をかくんです?」「変っています。本当に天才みたいなところもあるんです。」意外の答であった。「へえ。」僕は二の句が継げなかった。つくづく、馬・・・ 太宰治 「水仙」
・・・帰途、吉祥寺駅から、どしゃ降りの中を人力車に乗って帰った。車夫は、よぼよぼの老爺である。老爺は、びしょ濡れになって、よたよた走り、ううむ、ううむと苦しげに呻くのである。私は、ただ叱った。「なんだ、苦しくもないのに大袈裟に呻いて、根性が浅・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・ 鶴はその日、森ちゃんを吉祥寺駅まで送って、森ちゃんには高円寺行きの切符を、自分は三鷹行きの切符を買い、プラットフオムの混雑にまぎれて、そっと森ちゃんの手を握ってから、別れた。部屋を見つける、という意味で手を握ったのである。「や、い・・・ 太宰治 「犯人」
・・・けれども僕には、吉祥寺に一軒、親しくしているスタンドバアがあって、すこしは無理もきくので、実はその前日そこのおばさんに、「僕の親友がこんど戦地へ行く事になったらしく、あしたの朝早く上野へ着いて、それから何時間の余裕があるかわからないけれども・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・そうして、スルメを二枚お土産にもらって、吉祥寺駅に着いた時には、もう暗くなっていて、雪は一尺以上も積り、なおその上やまずひそひそと降っていました。私は長靴をはいていたので、かえって気持がはずんで、わざと雪の深く積っているところを選んで歩きま・・・ 太宰治 「雪の夜の話」
出典:青空文庫