・・・を彼の骨肉の親子が無遠慮に思う所を述べて、双方の間に行違もあり誤解もありて、親に叱られ子に咎められながら、果ては唯一場の笑に附して根もなく葉もなく、依然たる親子の情を害することなきものに比すれば、迚も同年の論に非ず。左れば舅姑と嫁との間は、・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・父の生れた年は明治元年でペシコフと同年でした。只一八六八でいいか、A・Dと加えるかというので大笑いをやって父の仕事のリストのところへ来ると、私は何か一種の興奮を感じました。父は沢山の仕事をして居ります。いろいろ。実に沢山の建物をのこしている・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・一九四五年八月六日広島の原爆当日、三度目の応召で入隊中行方不明となった。同年十二月死去の公報によって葬儀を営んだ。十月十日に網走刑務所から解放されて十二年ぶりで東京にかえった顕治と百合子が式に列した。[自注12]国男夫婦――百合子の弟夫・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・つづいて同年「結婚の生理」を完成し、作家オノレ・ド・バルザックの名は漸く世間的に認められ、新聞雑誌に喧伝せられるに到った。 翌年「カトリーヌ・ド・メディチ」「恐怖時代の一插話」などとともに発表された「革」は、その生涯の最後の年にあったゲ・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・ 寛永十八年妙解院殿存じ寄らざる御病気にて、御父上に先立、御卒去遊ばされ、当代肥後守殿光尚公の御代と相成り候。同年九月二日には父弥五右衛門景一死去いたし候。次いで正保二年三斎公も御卒去遊ばされ候。これより先き寛永十三年には、同じ香木の本・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ この時雪の締めて置いた戸を、廊下の方からあらあらしく開けて、茶の天鵞絨の服を着た、秀麿と同年位の男が、駆け込むように這入って来て、いきなり雪の肩を、太った赤い手で押えた。「おい、雪。若檀那の顔ばかり見ていて、取次をするのを忘れては困る・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ 男と同年位であろう。黒繻子の半衿の掛かった、縞の綿入に、余所行の前掛をしている。 女の目は断えず男の顔に注がれている。永遠に渇しているような目である。 目の渇は口の渇を忘れさせる。女は酒を飲まないのである。 箸のすばしこい・・・ 森鴎外 「牛鍋」
出典:青空文庫