・・・ローザの経済主義的な誤謬、トロツキーの世界革命がおこらない間は、それぞれの国での革命、社会主義生産への移行は不可能であるとした理論などは、こんにちのソヴェト同盟の存在と民主中国の事情を研究すれば、誤りであることが明瞭です。 政府の挑発的・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
この本に集められている作物は、殆どみんなモスクで書かれたものだ。一九二八年の春から、一九三〇年の秋まで。少し、日本にかえってから書いたものも入っている。 ソヴェト同盟における三年間の滞在は、実に自分に多くのものを教えた・・・ 宮本百合子 「若者の言葉(『新しきシベリアを横切る』)」
・・・じき、当時のナップに加盟していた日本プロレタリア作家同盟に参加した。そして精力的にソヴェトの社会生活の見学記、文化・文学活動の報告をかいた。一九三〇年の暮から一九三二年いっぱいに書かれたソヴェト紹介の文章は、『女人芸術』『戦旗』『ナップ』を・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
一九三〇年の暮にソヴェト同盟から帰って来て、翌年「ナップ」へ参加するまで、わたしは評論、紹介めいたものを書いたことがなかった。また、人の前に立って、文学についてそのほかの話をしたという経験もない。そして、それを自分の気質と・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・を一堂にあつめて第一回全ソヴェト同盟作家大会が行われた。そのとき、フランスからロマン・ロラン、バルビュス、マルローその他の作家が招待された。招待された作家たちの全部が出席することは出来なかったらしいけれども、この大会が与えた文化の守りについ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・普選で成功するために総同盟が右翼化することを決定した年でもある。無産階級文学運動の中にもこの対立がはげしく反映した。江口渙、壺井繁治、今野大力などアナーキストであった作家詩人が、次第に共産主義に接近しつつあった。無産派文学団体の改組が頻繁に・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・は、その年のはじめに日本プロレタリア作家同盟へ参加してから、農民文学のための雑誌『農民の旗』へかいたものだと思う。小説の形をとっているけれども、題材は、ソヴェトの新聞にでていた農村通信の記事だったと記憶する。だから現実に或るコルホーズに起っ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第八巻)」
・・・一九三〇年の暮日本プロレタリア作家同盟に参加し、「小祝の一家」あたりから、進歩的な作家としての作品が少しずつかかれるようになった。「乳房」は、プロレタリア文学の運動に参加してからの一番まとまった、努力した作品であった。ソヴェトに翻訳された。・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第四巻)」
わたしがソヴェト同盟に暮したのは、もう二十年も前のことになる。一九二七年の暮から三〇年十一月までのことであったが、三一年から三二年までわたしはずいぶん沢山のソヴェト社会の日常生活や文化・文学についての報告を書いた。そしてそ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『モスクワ印象記』)」
・・・なおその上に、彼はフランス本国から二十万人を、ライン同盟国から十四万七千人、伊太利から八万人を、波蘭とプロシャとオーストリアから十一万人、これに仏領各地から出さしめた軍隊を合せて七十万人に、加うるに予備隊を合して総数百十万余人の軍勢をドレス・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫