・・・常陸山、梅ヶ谷、大砲などもいたような気がする。同郷の学生たち一同とともに同郷の力士国見山のためにひそかに力こぶを入れて見物したものである。ひいきということがあって始めて相撲見物の興味が高潮するものだということをこの時に始めて悟ったのであった・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・ 第二学年の学年試験の終わったあとで、その時代にはほとんど常習となっていたように、試験をしくじった同郷同窓のために、先生がたの私宅へ押しかけて「点をもらう」ための運動委員が選ばれた時、自分もその一員にされてしまった。そうしてそのためにも・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・この紙屋というのは竹村君と同郷のもので、主人とは昔中学校で同級に居た事がある。いつか偶然に出くわしてからは通りがかりに声を掛けていたが、この頃では寄るとゆるゆる店先へ腰を下ろして無駄話をして行く。主人の妹で十九になる娘が居て店の奥の方でちら・・・ 寺田寅彦 「まじょりか皿」
・・・それの通る時刻と前後して隣の下宿の門の開く鈴音がして、やがて窓の下から自分を呼びかける同郷の悪友TとMの声がしたものである。悪友と言っても藪蕎麦へ誘うだけの悪友であった。「あいつ、このごろ弱っているから引っぱり出して元気をつけてやれ」と言っ・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・淋しい田舎の古い家の台所の板間で、袖無を着て寒竹の子の皮をむいているかと思うと、その次には遠い西国のある学校の前の菓子屋の二階で、同郷の学友と人生を論じている。下谷のある町の金貸しの婆さんの二階に間借りして、うら若い妻と七輪で飯を焚いて暮し・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・なるほど弓削道鏡が自分の同郷出身だといって自慢する人はあまりないかもしれないが、しかし石川五右衛門の同郷者だといってシニカルな自慢を振り廻す人はあるかもしれない。 それはとにかく、暑い国の夏の夕凪は、その肉体的効果から見ればたしかに、ベ・・・ 寺田寅彦 「夕凪と夕風」
・・・で、小野は上京すると、同郷のTや、Kや、Nやも、正進会にひっぱりこんだと、得意で書いている。三吉もそこへゆけば正進会員にならねばならないが、それが厭である。なぜ厭なのか、理論的にはよくわからぬけれど、厭なのである。 小野の上京以来、東京・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ 田崎と云うのは、父と同郷の誼みで、つい此の間から学僕に住込んだ十六七の少年である。然し、私には、如何にも強そうなその体格と、肩を怒らして大声に話す漢語交りの物云いとで、立派な大人のように思われた。「先生、何の御用で御座います。」・・・ 永井荷風 「狐」
・・・知らぬ他国で偶然同郷の人に邂逅したような心持がしたのである。 かつて大正十五年の春にも正宗君はわたくしの小説及雑著について批評せられたことがあった。その時わたくしは弁駁の辞をつくったが、それは江戸文学に関して少しく見解を異にしているよう・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・ 書生時代の友人、同郷人、その様なものに金を借りに出かけるほど栄蔵も馬鹿ではなかった。 散々思い惑うた末、先の内お君が半年ほど世話になって居た、森川の、川窪と云う、先代から面倒を見てもらって居る家へ出かけて見る気になった。 けれ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
出典:青空文庫