・・・は知らないが、おなじ城下を東へ寄った隣国へ越る山の尾根の談義所村というのに、富樫があとを追って、つくり山伏の一行に杯を勧めた時、武蔵坊が鳴るは滝の水、日は照れども絶えずと、謡ったと伝うる(鳴小さな滝の名所があるのに対して、これを義経の人待石・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 通道というでもなし、花はこの近処に名所さえあるから、わざとこんな裏小路を捜るものはない。日中もほとんど人通りはない。妙齢の娘でも見えようものなら、白昼といえども、それは崩れた土塀から影を顕わしたと、人を驚かすであろう。 その癖、妙・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ 安宅の関の古蹟とともに、実盛塚は名所と聞く。……が、私は今それをたずねるのではなかった。道すがら、既に路傍の松山を二処ばかり探したが、浪路がいじらしいほど気を揉むばかりで、茸も松露も、似た形さえなかったので、獲ものを人に問うもおかしい・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・山滝村いうたら、岸和田の奥の紅葉の名所で、滝もあって、景色のええとこやったが、こんどは自分の方から飛びだしたった。ところが、それが病みつきになってしもて、それからというもんは、どこイ預けられても、いつも自分から飛び……」「……だすいうて・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 田舎出の客を見ると、五銭で大阪名所を案内してやる……と、寄って行く。そして、市中をガラガラ引き廻しながら、あやしげな名所案内の説明をやり、宿屋へ送りこむと、名所の説明代は一ヵ所五銭だ、六十ヵ所説明してやったから三円くれと、凄むのである・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・伏見は酒の名所、寺田屋は伏見の船宿で、そこから大阪へ下る淀船の名が三十石だとは、もとよりその席の誰ひとり知らぬ者はなく、この仲人の下手な洒落に気まずい空気も瞬間ほぐされた。 ところが、その機を外さぬ盞事がはじまってみると、新郎の伊助は三・・・ 織田作之助 「螢」
・・・日光とか碓氷とか、天下の名所はともかく、武蔵野のような広い平原の林が隈なく染まって、日の西に傾くとともに一面の火花を放つというも特異の美観ではあるまいか。もし高きに登りて一目にこの大観を占めることができるならこの上もないこと、よしそれができ・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・私、小学生のころ、学芸大会に、鎌倉名所の朗読したことがございまして、その折、練習に練習を重ねて、ほとんど諳誦できるくらいになってしまいました。七里ヶ浜の磯づたい、という、あの文章です。きっと子供ながら、その風景にあこがれ、それがしみついて離・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・「どこか、名所は無いだろうか。」「さあ、」女中さんは私の袴を畳みながら、「こんなに寒くなりましたから。」「金山があるでしょう。」「ええ、ことしの九月から誰にも中を見せない事になりました。お昼のお食事は、どういたしましょう。」・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・ ここは東京市外ではあるが、すぐ近くの井の頭公園も、東京名所の一つに数えられているのだから、此の武蔵野の夕陽を東京八景の中に加入させたって、差支え無い。あと七景を決定しようと、私は自分の、胸の中のアルバムを繰ってみた。併しこの場合、芸術・・・ 太宰治 「東京八景」
出典:青空文庫