・・・とその含蓄ある条を結んでいるのである。その事件があってから三十四年の後に至ってゴーリキイは「人々の中」でこの記憶に触れているのであるが、この事件の経験のしかたからはっきり自覚される筈の当時の彼の事情――一箇の小さな人間として彼自身が息苦しく・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・と実感をこめて云っている短い言葉の中には、卓抜な人間的・文学的才能にめぐまれつつ民衆の一人として経て来なければならなかったゴーリキイの、すべての時代的な真価と誤りとが率直に含蓄されていると思う。 マクシム・ゴーリキイは「錯雑した歴史の事・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの発展の特質」
・・・ところが私たちにはその朝の有様が、もっと含蓄をもって語りかけて来るように思われる。経済や政治の力に押されて若い帝が、公には藤原氏の関係の中宮を立てていられながら今は有力な背後関係を失っている定子の美しい心立にひかされて真実の二人の愛は変らず・・・ 宮本百合子 「山の彼方は」
・・・文学というものに絡めて含蓄されているものもあるだろうけれども、列の心理をいろんな面から考えてゆくと、やっぱり或る対比として心に浮んで来る。何をッという気勢は云わば互の気力の渡り合いで、気力のきついものが、時によっては理非をこえて勝をしめる。・・・ 宮本百合子 「列のこころ」
・・・ 今日のような時代に生きるわれわれにとってゴーリキイの歩んだこの道は無限の含蓄をもっている。ゴーリキイが若い労働者の文学志望者に与える言葉の中に「私はロマンティシズムを支持する、しかし、ロマンティシズムに対して極めて本質的な条件つきのも・・・ 宮本百合子 「私の会ったゴーリキイ」
出典:青空文庫