・・・二切りめが済むと座敷はにわかににぎやかになって、煙草を吸うやら便所に立つやら大騒ぎ。『お梅。』母親がきょろきょろと見回すと、『なに。』お梅は大きな声で返事をした。『どこにいたのさっきから。』『ここで聴いていたのよ、そして頭が・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・『誰がくだらないことを焼きつけたのだろうねえ、ほんとにしようがないねえ』とお俊はこう言って、長火鉢の横に坐って、そこに置いてあった煙草を吸うておるのです。『明日の朝になればなんでもないサ』と私もしょうことなしに宥めていましたが、お俊・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・算だけしか有しておらぬことであるから、当人は人一倍困悶したが、どうも病気には勝てぬことであるから、暫く学事を抛擲して心身の保養に力めるが宜いとの勧告に従って、そこで山水清閑の地に活気の充ちた天地の気を吸うべく東京の塵埃を背後にした。 伊・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・静かに寝床の上で身動きもせずにいるような隣のおばあさんの側で枕もとの煙草盆を引きよせて、寝ながら一服吸うさえ彼女には気苦労であった。のみならず、上京して二日経ち、三日経ちしても、弟達はまだ彼女の相談に乗ってくれなかった。成程、弟達は久しぶり・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・その田圃側は、高瀬が行っては草を藉き、土の臭気を嗅ぎ、百姓の仕事を眺め、畠の中で吸う嬰児の乳の音を聞いたりなどして、暇さえあれば歩き廻るのを楽みとするところだ。一度消えた夏らしい白い雲が復た窓の外へ帰って来た。高瀬はその熱を帯びた、陰影の多・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・からの乳房をピチャピチャ吸って、いや、もうこのごろは吸う力さえないんだ。ああ、そうだよ、狐の子だよ。あごがとがって、皺だらけの顔で一日中ヒイヒイ泣いているんだ。見せてあげましょうかね。それでも、あたしたちは我慢しているんだ。それをお前たちは・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・佃煮わびしく、それでも一粒もあますところ無くたべて、九銭のバットを吸う。夜がふけて、寝なければならぬ。私は、寝る。枕の下に、すさまじい車輪疾駆の叫喚。けれども、私は眠らなければならぬ。眼をつぶる。イマハ山中、イマハ浜、――童女があわれな声で・・・ 太宰治 「鴎」
・・・ 薄暗い陰気な室はどう考えてみても侘しさに耐えかねて巻き煙草を吸うと、青い紫の煙がすうと長く靡く。見つめていると、代々木の娘、女学生、四谷の美しい姿などが、ごっちゃになって、縺れ合って、それが一人の姿のように思われる。ばかばかしいと思わ・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・しかしそれも一日経ったらすぐ馴れてしまって日本人の吸う敷島の味を完全に取り戻すことが出来た。 ドイツ滞在中はブリキ函に入った「マノリ」というのを日常吸っていた。ある時下宿の老嬢フロイライン・シュメルツァー達と話していたら、何かの笑談を云・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・ シガー一本をできるだけゆっくり時間をかけて吸うという競技で優勝の栄冠を獲たのはドイツ人何某であった。すなわち、五時間と十七分というレコードを得たのである。遺憾ながらそのシガーの大きさや重量や当日の気温湿度気圧等の記載がない。この競技は・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
出典:青空文庫