・・・それに反して向島災後の状況に関しては、少くとも一年一回来り見るところから、ややこれについて語ることが出来るような気がしている。吾妻橋を渡ると久しく麦酒製造会社の庭園になっていた旧佐竹氏の浩養園がある。しかしこの名園は災禍の未だ起らざる以前既・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・改良剣舞の娘たちは、赤き襷に鉢巻をして、「品川乗出す吾妻艦」と唄った。そして「恨み重なるチャンチャン坊主」が、至る所の絵草紙店に漫画化されて描かれていた。そのチャンチャン坊主の支那兵たちは、木綿の綿入の満洲服に、支那風の木靴を履き、赤い珊瑚・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・謀りたらば、公武合体等種々の便利法もありしならんといえども、帝室にして能くその地位を守り幾艱難のその間にも至尊犯すべからざるの一義を貫き、たとえば彼の有名なる中山大納言が東下したるとき、将軍家を目して吾妻の代官と放言したりというがごとき、当・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・ ところどころ崩れ落ちて、水に浸っている堤の後からは、ズーとなだらかな丘陵が彼方の山並みまで続いて、ちょうど指で摘み上げたような低い山々の上には、見事な吾妻富士の一帯が他に抽でて聳えている。 色彩に乏しい北国の天地に、今雪解にかかっ・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・諏訪町河岸のあたりから、舟が少し中流に出た。吾妻橋の上には、人がだいぶ立ち止まって川を見卸していたが、その中に書生がいて、丁度僕の乗っている舟の通る時、大声に「馬鹿」とどなった。 舟の着いたのは、木母寺辺であったかと思う。生憎風がぱった・・・ 森鴎外 「百物語」
出典:青空文庫