・・・朝顔を秋草というは、いつの頃から誰の言い出したことかは知らないが、梅雨あけから秋風までも味わせて呉れるこんな花もめずらしいと思う。わたしがこれを書いているのは九月の十二日だ。新涼の秋気はすでに二階の部屋にも満ちて来た。この一夏の間、わたしは・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・では斯うするさ――僕が今、君に尺八を買うだけの金を上げるから粗末な竹でも何でもいい、一本手に入れて、それを吹いて、それから旅をする、ということにしたまえ――兎に角これだけあったら譲って呉れるだろう――それ十銭上げる。」 斯う言って、そこ・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・唯、私はお前に忸れたかして、お前が側に居て呉れると、一番安心する。」斯う私が言うと、「貧」は笑って、「私に忸れてはいけない。もっと私を尊敬してほしい。よく私に清いという言葉をつけて、『清貧』と私を呼んで呉れる人もあるが、ほんとうの私はそ・・・ 島崎藤村 「三人の訪問者」
・・・ 二 釣りの話 ある日、お爺さんは二人の兄弟に釣りの道具を造って呉れると言いました。 いかにお爺さんでも釣りの道具は、むずかしかろう、と二人の子供がそう思って見て居ました。この兄弟の家の周囲には釣竿一本売る店が・・・ 島崎藤村 「二人の兄弟」
・・・小猫などは、折さえあると夜昼かまわずスバーの膝にとび上り心持よさそうに丸まって、彼女が柔かい指で背中や頸を撫で撫で寝かしつけて呉れるのを、何より嬉しそうにします。 スバーは、此他もう少し高等な生きものの中にも一人の仲間を持っていました。・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・「僕の意志の強さを信じて呉れるね?」男の声も真剣であった。娘はだまって、こっくり首肯いた。信じた様子であった。 男の意志は強くなかった。その翌々日、すでに飲酒を為した。日暮れて、男は蹌踉、たばこ屋の店さきに立った。「すみません」と小・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・神さまだってゆるして呉れる。」 ふたり、厳粛に身支度をはじめた。 あやまった人を愛撫した妻と、妻をそのような行為にまで追いやるほど、それほど日常の生活を荒廃させてしまった夫と、お互い身の結末を死ぬことに依ってつけようと思った。早春の・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・私の赤児のときの思い出だけでもよいのなら、一日にたった五六行ずつ書いていってもよいのなら、君だけでも丁寧に丁寧に読んで呉れるというのなら。よし。いつ成るとも判らぬこのやくざな仕事の首途を祝い、君とふたりでつつましく乾杯しよう。仕事はそれから・・・ 太宰治 「玩具」
・・・ 私は女給たちのとめて呉れるのを、いまかいまかと待っていた。女給たちはしかし、そろって冷い顔して私の殴られるのを待っていた。そのうちに私は殴られた。右のこぶしが横からぐんと飛んで来たので、私は首筋を素早くすくめた。十間ほどふっとんだ。私・・・ 太宰治 「逆行」
・・・けれども私を使って呉れる人はない。私は工場で余り乾いた空気と、高い温度と綿屑とを吸い込んだから肺病になったんだ。肺病になって働けなくなったから追い出されたんだ。だけど使って呉れる所はない。私が働かなけりゃ年とったお母さんも私と一緒に生きては・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
出典:青空文庫