・・・――洋一は誰かに聞かされた、そんな話を思い出しながら、しばらくの間は不承不承に、一昨年ある呉服屋へ縁づいた、病気勝ちな姉の噂をしていた。「慎ちゃんの所はどうおしだえ? お父さんは知らせた方が好いとか云ってお出でだったけれど。」 その・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・何でも六月の上旬ある日、新蔵はあの界隈に呉服屋を出している、商業学校時代の友だちを引張り出して、一しょに与兵衛鮨へ行ったのだそうですが、そこで一杯やっている内に、その心配な筋と云うのを問わず語りに話して聞かせると、その友だちの泰さんと云うの・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・先の呉服屋が来たんでしょう。可哀相でね、お金子を遣って旅籠屋を世話するとね、逗留をして帰らないから、旦那は不断女にかけると狂人のような嫉妬やきだし、相場師と云うのが博徒でね、命知らずの破落戸の子分は多し、知れると面倒だから、次の宿まで、おい・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・千軒もあるのぞみ手を見定め聞定めした上でえりにえりにえらんだ呉服屋にやったので世間の人々は「両方とも身代も同じほどだし馬は馬づれと云う通り絹屋と呉服屋ほんとうにいいお家ですネー」とうわさをして居たら、半年もたたない中に此の娘は男を嫌い始めて・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・ すると何となく、『焼けそうな家だった』という心持がして、急いで着のみ着のまゝの平生着で飛出した。 呉服橋で電車を降りて店の近くへ来ると、ポンプの水が幾筋も流れてる中に、ホースが蛇のように蜒くっていた。其水溜の中にノンキらしい顔をし・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・ その町には、昔からの染物屋があり、また呉服屋や、金物屋などがありました。日は、西に入りかかっていました。少年は、あちらの空のうす黄色く、ほんのりと色づいたのが悲しかったのです。 雨になるせいか、つばめが、町の屋根を低く飛んでいまし・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・子供は町のいちばんきれいな呉服屋に入りました。「どうか私に着物を売ってください。」 慄えた声で子供はいいました。「おまえは銭を持っているか。」 店頭にすわった番頭は、いぶかしげな顔つきをしてたずねました。子供はかごの中をのぞ・・・ 小川未明 「黒い旗物語」
・・・ 真吉は、お母さんの知り合いの呉服店を思い出しました。そこで堤燈を借りてゆこうと立ち寄りました。ふいに、真吉が帰ってきたので、呉服店のおかみさんは、おどろいて、「まあ、どうして帰っていらしたか。」と、たずねました。 真吉は、お母・・・ 小川未明 「真吉とお母さん」
・・・芋を売る店があり、小間物屋があり、呉服屋があった。「まからんや」という帯専門のその店の前で、浜子は永いこと立っていました。 新次はしょっちゅう来馴れていて、二つ井戸など少しも珍らしくないのでしょう、しきりに欠伸などしていたが、私はしびれ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・美貌を買われて、婦人呉服部の御用承り係に使われ、揉手をすることも教えられ、われながらあさましかったが、目立って世帯じみてきた友子のことを考えると、婦人客への頭の下げ方、物の言い方など申分ないと褒められるようになった。その年の秋友子は男の子を・・・ 織田作之助 「雨」
出典:青空文庫