・・・ 板倉周防守、同式部、同佐渡守、酒井左衛門尉、松平右近将監等の一族縁者が、遠慮を仰せつかったのは云うまでもない。そのほか、越中守を見捨てて逃げた黒木閑斎は、扶持を召上げられた上、追放になった。 ―――――――――――・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・ 浜子がいなくなって間もなく、一家はすぐ笠屋町へ移りました。周防町筋を半町ばかり南へはいった東側に路地があります。その路地の一番奥にある南向きの家でした。鰻の寝床みたいな狭い路地だったけれど、しかしその辺は宗右衛門町の色町に近かったから・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・か艶めいていながら流石に裏通りらしくうらぶれているその通りを北へ真っ直ぐ、軒がくずれ掛ったような古い薬局が角にある三ツ寺筋を越え、昼夜銀行の洋館が角にある八幡筋を越え、玉の井湯の赤い暖簾が左手に見える周防町筋を越えて半町行くと夜更けの清水町・・・ 織田作之助 「世相」
・・・て、その八幡が、まあ、東の境になっていて、その以東には山椒魚は見当らぬ、そうして、その八幡から西、中央山脈を伝わって本州の端まで山椒魚はいる、という事にただいまのところではなっているようでございます。周防長門にもいるそうですし、石州あたりに・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・ 青い実のついている梅 かさだけ時代もので、胴がよせもののとうろう、 つつじ 杉、しゃぼてんの鉢 ――○―― かた木の庭木 大名竹 槇 周防の花 下ぬりのまま五六年たった壁。 床の間に紫檀の台、・・・ 宮本百合子 「Sketches for details Shima」
・・・長女藤姫は松平周防守忠弘の奥方になっている。二女竹姫はのちに有吉頼母英長の妻になる人である。弟には忠利が三斎の三男に生まれたので、四男中務大輔立孝、五男刑部興孝、六男長岡式部寄之の三人がある。妹には稲葉一通に嫁した多羅姫、烏丸中納言光賢に嫁・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・それから周防国宮市に二日いて、室積を経て、岩国の錦帯橋へ出た。そこを三日捜して、舟で安芸国宮島へ渡った。広島に八日いて、備後国に入り、尾の道、鞆に十七日、福山に二日いた。それから備前国岡山を経て、九郎右衛門の見舞旁姫路に立ち寄った。 宇・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫