・・・立止って気をつけて見ると、頭に突き出た大きな眼は、怪しいまなざしに何物かを呪うているかと思われた。 始めてこの阪のやもりを見た時、自分はふとこんな事を思い出した。自分が十九歳の夏休みに父に伴われて上京し麹町の宿屋に二月ばかり泊っていた時・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・その顔は長しえに天と地と中間にある人とを呪う。右から盾を見るときは右に向って呪い、左から盾を覗くときは左に向って呪い、正面から盾に対う敵には固より正面を見て呪う。ある時は盾の裏にかくるる持主をさえ呪いはせぬかと思わるる程怖しい。頭の毛は春夏・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・私可怖かったわ、あの呪う様な眼で、凝乎と其兵士をお睨みでした顔と云ったら。『決して後の事心配しなさるでねえよ。私何様思いをしても、阿母や此児に餓じい目を見せる事でねえから、安心して行きなさるが可えよ。』 良人の其人も目は泣きながら、・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・傷ついたにせよ、若い命がすぐそれを癒す傷しかもっていません。呪うような質問なんかやめて! わたしたちは生きたいんです、つよく、たのしく、不屈に生きたいんです。きっと、そうしか答える言葉をもっていられないと信じます。 若いかたがたの心もち・・・ 宮本百合子 「新しい卒業生の皆さんへ」
・・・化を擁護し、新しいヒューマニズムに向って能動であろうとする人々が、自身の文化を抑圧し、運動を骨ぬきとする自分の国のファッシズムそのものとのたたかいは、極力回避しなければならなかったというのは、何という呪うべき矛盾であったろう。当時のリベラリ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・ 時に栄蔵の口から、お金を呪う様な言葉がとばしり出ると後には必ず、哀願的な、沈痛な声でお君をたのむと云った。 そう云われる度びに恭二は、何とも知れず肩のあたりが寒くなって、この不具者について不吉な事ばかりが想像された。 何故・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・、「未亡人のその名を呪う」、「或る女の手記」、「わたくしは生きる」をえらんだ。「未だ亡びざる人々」を最後に附記されている『婦人公論』編集部宛の長瀬澄江さんのことばまでとおしてよんだとき、その手紙と本文の文章とのあいだに、切なさとはこうい・・・ 宮本百合子 「「未亡人の手記」選後評」
・・・己に若し呪う力があるならば、一番先に人間を――その次にはあの白くいやに光るするどい爪と歯をもった動物、あれを己は呪う、この暗いみじめな生活に私をつっつき込んだのも人間と云うものの仕業だ。百姓のわなにかかってから私のこのなやましい生活は始めら・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・与えられた物を呪うな。生は開展の努力である。生の重点はこの努力にあって、与えられた物にあるのではない。呪詛は生を傷い、愛は生を高める。ただ愛せよ、そしてすべてを最もよく生かせよ。――こうして私は喜悦と勇気とに充たされる。天分の疑懼はしばらく・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・私は何かを呪うような気持ちになった先ほどの自分を恥じた。もしその何かが神だったら! 恐らく神といえども、もっともっと比べものにならないほどの苦しみを私の上に置く事もあるだろう。しかも恐らく私を愛するゆえに。不遜なる者よ。きわめて小さい不運を・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫