・・・水臭い麦酒を日毎に浴びるより、舌を焼く酒精を半滴味わう方が手間がかからぬ。百年を十で割り、十年を百で割って、剰すところの半時に百年の苦楽を乗じたらやはり百年の生を享けたと同じ事じゃ。泰山もカメラの裏に収まり、水素も冷ゆれば液となる。終生の情・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・けれども、その動機に鋭い直覚を持つ者は、切角の施物も、苦々しく味わうことは無いだろうか。 反対の或る一部は、まるで無感覚な状態に在る。ぼんやりと、耳を掠める風聞。――然し、兎も角、自分達の口腹の慾は満たされて行くのだし……必要なら、誰か・・・ 宮本百合子 「アワァビット」
・・・ 今の時代の生活の感情のなかに受けとって味わうと、ニイチェのいった言葉もひとりでに彼の生きた時代のものの考えかたを歴史的に映し出していて面白く思われる。この詩人風な哲学者が「婦人のなかには」云々と一方的にだけいっていて、そのような婦人が・・・ 宮本百合子 「異性の間の友情」
・・・老藤村が、文化勲章の制定に感激しつつ、いまだ文学が一般の人、特に政治家に分っていないこと、そのためにこのよろこびが些かほがらかならざることに遺憾の心をのべているのは味わうべきところであった。文化勲章は従軍徽章でないのである。藤村が、文学者の・・・ 宮本百合子 「「大人の文学」論の現実性」
・・・ けれども過去現在の狭められた女性の生活、経験に満足しないで人としてもっと深く広く観、感じ味わうべき世界を求めて勇進しようとする者は箇性の内容の貧弱さから人生をその物本然の姿で見る丈の大きさが欠けている。複雑な箇々の関係や、恐るべき人性・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・予は是において将に自ら予が我分身の鴎外と共に死んで、新しい時代の新しい文学を味わうことを得ないようになったかを疑わんとするに至った。然るにここに幸なるは、一事の我趣味の猶依然たることを証するに足るものがある。それは何であるか。予は我読書癖の・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・自然美を十分に味わうべきこと、文芸を心の糧とすべきこと、その文芸も『万葉集』、『源氏物語』のごとき古典に親しむべきこと、連歌や歌の判のことなども心得べきこと、などを説いた後に、実践の問題に立ち入って、人を見る明が何よりも大切であることを教え・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
わたくしは歌のことはよくわからず、広く読んでいるわけでもないが、岡麓先生のお作にはかねがね敬服している。誠に滋味の豊かな歌で、くり返して味わうほど味が出てくるように思う。中でも最も敬服する点は、先生が、目立って巧みな言い回しとか、人を・・・ 和辻哲郎 「歌集『涌井』を読む」
・・・そのゆえに彼らの仕事は、味わえば味わうほど深い味を示してくる。 現代には、たとい根に対する注意が欠けていないにしても、ともすればそれが小さい植木鉢のなかの仕事に堕していはしないか。いかにすれば珍しい変種ができるだろうかとか、いかにすれば・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
・・・秋らしい澄んだ気持ちは少しも味わうことができない。あとに取り残された常緑樹の緑色は、落葉樹のそれよりは一層陰欝で、何だか緑色という感じをさえ与えないように思われる。ことに驚いたことには、葉の落ちたあとの落葉樹の樹ぶりが、実におもしろくなかっ・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫