・・・で、原稿を関君に渡して、ほっと呼吸をついた。 それから後は、なかば校正の筆を動かしつつ書いた。関君と柴田流星君が毎日のように催促に来る。社のほうだってそう毎日休むわけには行かない。夜は遅くまで灯の影が庭の樹立の間にかがやいた。 反響・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・先生が退屈の呼吸を吹きかけた日には生徒は窒息してしまう。教える能力というのは面白く教える事である。どんな抽象的な教材でも、それが生徒の心の琴線に共鳴を起させるようにし、好奇心をいつも活かしておかねばならない。」 これは多数の人にとって耳・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・ 彼女はあいにく二三日鼻や咽喉を悪くして、呼吸が苦しそうであった。腹工合もわるいと言って、一日何んにも食べずに中の間で寝ていたが、昨夜按摩を取ったあとで、いくらか気分がよくなったので、茶の間へ出てきて、思いだしたように御飯を食べていた。・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・まだ作業中のどの建物からもあらい呼吸づかいがきこえているが、三吉は橋の上を往復したり、鉄門のまえで、背の赤んぼと一緒に嫁や娘をまちかねている婆さんなぞにまじって、たっていたりする。手を背にくんで、鍵束の大きな木札をブラつかせながら、門の内側・・・ 徳永直 「白い道」
・・・身体一杯の疱瘡が吹き出した時其鼻孔まで塞ってしまった。呼吸が逼迫して苦んだ。彼の母はそれを見兼ねて枳の実を拾って来て其塞った鼻の孔へ押し込んでは僅かに呼吸の途をつけてやった。それは霜が木の葉を蹴落す冬のことであった。枳の木は竹藪の中に在った・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・とギニヴィアの呼吸ははずんでいる。「白き挿毛に、赤き鉢巻ぞ。さる人の贈り物とは見たれ。繋がるるも道理じゃ」とアーサーはまたからからと笑う。「主の名は?」「名は知らぬ。ただ美しき故に美しき少女というと聞く。過ぐる十日を繋がれて、残・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・そして呼吸も可成り整っているのだった。 私は彼女の足下近くへ、急に体から力が抜け出したように感じたので、しゃがんだ。「あまりひどいことをしないでね」と女はものを言った。その声は力なく、途切れ途切れではあったが、臨終の声と云うほどでも・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・家を移すに豆腐屋と酒屋の遠近をば念を入れて吟味し、あるいは近来の流行にて空気の良否など少しく詮索する様子なれども、肺に呼吸する空気を論ずるを知りて、子供の心に呼吸する風俗の空気を論ずる者あるを聞かず。世の中には宗旨を信心して未来を祈る者あり・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・この部屋の空気を呼吸すれば、まあ、どれだけの甘い苦痛を覚える事やら。わたしがこの世に生きていた間の生活の半分はラヴェンデルの草の優しい匂のように、この部屋の空気に籠っている。人の母の生涯というものは、悲が三分一で、後の二分は心配と責苦とであ・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・翌日猿が馬場という峠にかかって来ると、何にしろ呼吸病にかかっている余には苦しい事いうまでもない。少しずつ登ってようよう半腹に来たと思う時分に、路の傍に木いちごの一面に熟しているのを見つけた。これは意外な事で嬉しさもまた格外であったが、少し不・・・ 正岡子規 「くだもの」
出典:青空文庫