・・・と哀願する様にたのんだ。 チラッとお君の顔を見て、軽い笑を口の端の辺にうかべながら、「ええ大丈夫です、 御心配なさらずと。とうす赤い顔をして返事をするのを見てお君は、そうやって、たのまれてくれるのも夫なればこ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・数日後、自分の子供の写真を下げて貰いたいと哀願している女の微かな声に私は緊張した注意と鋭くされた感情とをもって耳を傾けるのであった。〔一九三六年六月〕 宮本百合子 「写真」
・・・くりかえし哀願するように、どうぞもうこの一週間だけ御容赦下さいませ。 お恥しゅうございますが何しろ私もつい顛倒しておりますものですから……ハ? はい、はい。本年はどうもあの方が特別おやかましいということだもんでございますから、本当にもう・・・ 宮本百合子 「新入生」
・・・もう、母上の憤りと、涙と、哀願によって、愛人を捨てるには、自分は余り一人の人間になって居る。 彼女のヒステリー、私の精神の混乱。Aや父上の忍耐の幾日かの後、到頭、私共は自分等で、別に家を持つことになった。 AはA家の戸主で、移籍が出・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・ どうなるかと思う自分の眼の前で、おつやさんは、さっと涙に眼を曇らせ、訴えるように、哀願するように、先生を見た。が、先生の顔には、相手が、未だ十八の、少女であるのを忘却したほどの憤り、憎しみが燃えている。 一二秒、立ち澱み、やがてお・・・ 宮本百合子 「追想」
・・・出来るだけ哀れっぽく、哀願的に聞える様に苦心するのである。 考えて居る間も、他の百姓の様に、故意とらしい吐息をついたり、悲しい顔付をして見せるでもなく、只、ボンヤリ気抜けの仕た様に考え込んで仕舞うのである。自分の満足した考えを得るまで必・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・彼女は手にタワシを下げてしきりに彼に頭を下げながら哀願した。「私は七十にもなりまして、連れ合いも七十で死んで了いまして、息子も一人居りましたが死んで了いました。乞食をしますと警察が赦してくれませんし、どうぞ一つ此のタワシをお買いなすって・・・ 横光利一 「街の底」
・・・ 憤怒があり哀願があるのは「自己」の存在を認識して後に起こる現象である。己が不遇を知らずして天を楽しみ地を喜び平然として生きるものはさらに憐れむに足る。深山に人跡を探れ、太古の民は木の実を食って躍っている。ロビンフッドは熊の皮を着て落ち・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫