・・・「過日もさる物識りから承りましたが、唐土の何とやら申す侍は、炭を呑んで唖になってまでも、主人の仇をつけ狙ったそうでございますな。しかし、それは内蔵助殿のように、心にもない放埓をつくされるよりは、まだまだ苦しくない方ではございますまいか。・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・これは都人の顔の好みが、唐土になずんでいる証拠ではないか? すると人皇何代かの後には、碧眼の胡人の女の顔にも、うつつをぬかす時がないとは云われぬ。」 わたしは自然とほほ笑みました。御主人は以前もこう云う風に、わたしたちへ御教訓なすったの・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ 近頃心して人に問う、甲冑堂の花あやめ、あわれに、今も咲けるとぞ。 唐土の昔、咸寧の吏、韓伯が子某と、王蘊が子某と、劉耽が子某と、いずれ華冑の公子等、相携えて行きて、土地の神、蒋山の廟に遊ぶ。廟中数婦人の像あり、白皙にして甚だ端正。・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・きのう永井荷風という日本の老大家の小説集を読んでいたら、その中に、「下々の手前達が兎や角と御政事向の事を取沙汰致すわけでは御座いませんが、先生、昔から唐土の世には天下太平の兆には綺麗な鳳凰とかいう鳥が舞い下ると申します。然し当節のように・・・ 太宰治 「三月三十日」
・・・ 八「唐土にても墨張とて学問にあまり精を入れしゆえにつりし蚊帳が油煙にてまっ黒になりしという故事に引きくらべて文盲儒者の不性に身持ちをして人に誇るものあり。いかに学問するとても顔や手を洗うひまのなき事やはある。」(柳里恭・・・ 寺田寅彦 「人の言葉――自分の言葉」
・・・一 婦人は夫の家を我家とする故に唐土には嫁を帰るといふなり。仮令夫の家貧賤成共夫を怨むべからず。天より我に与へ給へる家の貧は我仕合のあしき故なりと思ひ、一度嫁しては其家を出ざるを女の道とする事、古聖人の訓也。若し女の道に背き、去・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫