・・・それは子規氏の特有の原稿用紙(唐紙? に朱罫いっぱいに画いた附近の略地図である。右上に斜に鉄道線路が二本引いてある。鶯横町は右下半に曲線を描いて子規庵は長さ一センチくらいのいびつな長方形でしるされてある。図の左半は比較的込み入っていて、不折・・・ 寺田寅彦 「子規の追憶」
・・・ 唐紙などに水がついたあとにできる「しみ」が、どうかすると不規則な花形模様に広がることがある。また「もぐさ」を平たく板の上にはりつけておいて、その一点に点火すると、炎を上げない火が徐々に燃え広がる。その燃えて行く前面の形が不規則な花形で・・・ 寺田寅彦 「自然界の縞模様」
・・・聞いてみるとかなりひどいゆれ方で居間の唐紙がすっかり倒れ、猫が驚いて庭へ飛出したが、我家の人々は飛出さなかった。これは平生幾度となく家族に云い含めてあったことの効果があったのだというような気がした。ピアノが台の下の小滑車で少しばかり歩き出し・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・ 信乃が腕をこまねいてうつむいている前に片手を畳につき、片袖をくわえている浜路の後ろに、影のように現われた幽霊の絵を見ていた時、自分の後ろの唐紙がするするとあいて、はいって来た人がある。見ると年増のほうの芸者であった。自分にはかまわず片・・・ 寺田寅彦 「竜舌蘭」
・・・二 妾宅は上り框の二畳を入れて僅か四間ほどしかない古びた借家であるが、拭込んだ表の格子戸と家内の障子と唐紙とは、今の職人の請負仕事を嫌い、先頃まだ吉原の焼けない時分、廃業する芸者家の古建具をそのまま買い取ったものである。二階・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・すると長屋一同から返礼に、大皿に寿司を遣した。唐紙を買って来て寄せ書きをやる。阿久の三味線で何某が落人を語り、阿久は清心を語った。銘々の隠芸も出て十一時まで大騒ぎに騒いだ。時は明治四十三年六月九日。 この時代には電車の中で職人が新聞・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・と、お熊は唐紙越しに、「花魁、こなたの御都合でねえ、よござんすか」「うるさいよッ」と、吉里も唐紙越しに睨んで、「人のことばッかし言わないで、自分も気をつけるがいいじゃアないか。ちッたアそこで燗番でもするがいいんさ。小万さんの働いておいで・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・土間からいきなり四畳、唐紙で区切られた六畳が、陽子の借りようという座敷であった。「まだ新しいな」「へえ、昨年新築致しましたんで、一夏お貸ししただけでございます。手前どもでは、よそのようにどんな方にでもお貸ししたくないもんですから……・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・わたしの母が本ずきであったために、父の書斎になっていた妙な長四畳の部屋の一方に、そんな乱雑な、唐紙もついていない一間の本棚があった。わたしの偶然は、そういう家庭の条件と結びついたのだったが、ほかのどっさりの人々の偶然は、どこでどんな条件と結・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・一太は坐って隣室との境の唐紙にぶつかると叱られるから、大抵寝転った。頭を母の方に向け、両脚を、竹格子の窓に突出した。屋根がトタンだから、風が吹いて雨が靡くとバラバラ、小豆を撒くような音がした。さもなければザッ、ザッ、気味悪くひどい雨音がする・・・ 宮本百合子 「一太と母」
出典:青空文庫