・・・その有様を、ずるい、悪徳の芸術家が、一つあまさず見とどけて、的確の描写を為し、成功して写実の妙手と称えられた。さて、それから事件は、どうなったのでしょう。まず、原文を読んでみましょう。原文も、この辺から、調子が落ちて、決闘の場面の描写ほど、・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・前に中学卒業試験全廃を唱えたのは、つまりこうして高等教育の関門を打破する意味と思われる。尤も彼も全然あらゆる能力験定をやめるというのではない。医科学生になるための予備試験などは止めた方がいいが、しかし将来教師になろうという人で、見込のないよ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・このあたりを大音寺前と称えたのは、四辻の西南の角に大音寺という浄土宗の寺があったからである。辻を北に取れば竜泉寺の門前を過ぎて千束稲荷の方へ抜け、また真直に西の方へ行けば、三島神社の石垣について阪本通へ出るので、毎夜吉原通いの人力車がこの道・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・西洋の狸から直伝に輸入致した術を催眠法とか唱え、これを応用する連中を先生などと崇めるのは全く西洋心酔の結果で拙などはひそかに慨嘆の至に堪えんくらいのものでげす。何も日本固有の奇術が現に伝っているのに、一も西洋二も西洋と騒がんでもの事でげしょ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・曾て東京に一士人あり、頗る西洋の文明を悦び、一切万事改進進歩を気取りながら、其実は支那台の西洋鍍金にして、殊に道徳の一段に至りては常に周公孔子を云々して、子女の教訓に小学又は女大学等の主義を唱え、家法最も厳重にして親子相接するにも賓客の如く・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・古人が杜詩を詩史と称えし例に傚わば曙覧の歌を歌史ともいうべきか。余が歌集によりてその人の事蹟と性行とを知り得たるもその歌史たるがためなり。しかれども彼が杜詩より得たるか否かは知るに由なし。ただ杜甫の経歴の変化多く波瀾多きに反して、曙覧の事蹟・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ その松林のずうっとずうっと高い処で誰かゴホゴホ唱えています。「爾の時に疾翔大力、爾迦夷に告げて曰く、諦に聴け、諦に聴け、善くこれを思念せよ、我今汝に、梟鵄諸の悪禽、離苦解脱の道を述べん、と。 爾迦夷、則ち、両翼を開張し、虔しく・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・ 私の云う霊を失った哀れなる亡霊の多くは、箇人主義を称えて、自らを害うて顧見ない。 自己の上に輝ける真を得るためには、真を裏切らぬ事をなさねばならぬ。 真に近づいて真を得るのである。 箇人主義は、即ち自己完成主義であらねばな・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・これは筆を執る人の間で唱えたのであるが、世間のものもそれに応じて、漫りに予を諸才子の中に算えるようになって居た。姑く今数えた人の上だけを言って見ように、いずれも皆文を以て業として居る人々であって、僅に四迷が官吏になって居り、逍遥が学校の教員・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・トルストイ伯はかるがゆえに半農主義を唱えた、すでに半農主義ある以上半商主義も可なり、半教師主義もよし。否、余裕があるなら全農も全商もよい。要は「人間の本領」を失わない事である。この決心のもとに虚栄と獣性と罪悪との渦巻く淵を彼岸に泳ぎ切る。若・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫