・・・ おぎんは切れ切れにそう云ってから、後は啜り泣きに沈んでしまった。すると今度はじょあんなおすみも、足に踏んだ薪の上へ、ほろほろ涙を落し出した。これからはらいそへはいろうとするのに、用もない歎きに耽っているのは、勿論宗徒のすべき事ではない・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・だからいよいよ立つと云う前夜、彼女は犬を抱き上げては、その鼻に頬をすりつけながら、何度も止めどない啜り泣きを呑みこみ呑みこみしたものだった。………「あの犬は中々利巧だったが、こいつはどうも莫迦らしいな。第一人相が、――人相じゃない。犬相・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ 保吉は次第に遠ざかる彼等の声を憎み憎み、いつかまた彼の足もとへ下りた無数の鳩にも目をやらずに、永い間啜り泣きをやめなかった。 保吉は爾来この「お母さん」を全然川島の発明したうそとばかり信じていた。ところがちょうど三年以前、上海へ上・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・変だと思いながら、あり合せの下駄を提げて井戸端へ出て、足を洗おうとしていると、誰かしら障子の内でしくしくと啜り泣きをしている。障子を開けてみると章坊である。足を投げ出してしょんぼりしている。「どうしたんだ」と問えど、返事もしないでただ涙・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・嵐が絶頂になって、おしまいに細君の啜り泣きが聞え出すと急に黙ってしまう。そして赤ん坊を抱いて下駄ばきで庭へ出る。憤怒、悲哀、痛苦を一まとめにしたような顔を曇らせて、不安らしく庭をあちこち歩き廻るのである。異郷の空に語る者もない淋しさ佗しさか・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・多くの女達は冷たい幼児の手を取って自分の頬にすりつけながら声をあげて泣いて居る。啜り泣きの声と吐息の満ちた中に私は只化石した様に立って居る。「何か奇蹟が表われる事だろう。 残されて歎く両親のため同胞のために。 奇蹟も表わ・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
出典:青空文庫