・・・博士神巫が、亭主が人殺しをして、唇の色まで変って震えているものを、そんな事ぐらいで留めはしない……冬の日の暗い納戸で、糸車をじい……じい……村も浮世も寒さに喘息を病んだように響かせながら、猟夫に真裸になれ、と歯茎を緊めて厳に言った。経帷子に・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・それによると御病気の様子、それも例の持病の喘息とばかりでなく、もっと心にかかる状態のように伺われますが、いかがでございますか、せっかくお大事になさいますよう祈ります。私の身は本年じゅうには解決はつくまいと覚悟しております。…… ああ! ・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・しかし朝眼が醒めてみると、私は喘息の発作状態に陥っていた。昨夜の激情が、祟ったのだ。 雨が降っていた。私はまず、この雨の中を憤然としてトランクを提げて東京駅から発って行ったであろう笹川の姿を、想像した。そして「やっぱし彼はえらい男だ!」・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・重兵衛さんの細君は喘息やみでいつも顔色の悪い、小さな弱々しいおばさんであったが、これはいつも傍で酌をしたり蚊を追ったりしながら、この人にはおそらく可笑しくも何ともない話を子供と一緒に聴きながら一緒に笑っているのであった。表の河沿いの道路に面・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・この夕刊売りの娘を後に最後の瞬間において靴磨きのために最有利な証人として出現させるために序幕からその糸口をこしらえておかなければならないので、そのために娘の父を舞台の彼方で喘息のために苦悶させ、それに同情して靴磨きがたった今、ダンサーから貰・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・ 少し喘息やみらしい案内者が No time, Sir ! と追い立てるので、フォーラムの柱の列も陳列館の中も落ち着いて見る暇はなかった。陳列館には二千年前の苦悶の姿をそのままにとどめた死骸の化石もあったが、それは悲惨の感じを強く動かす・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・息をセッセとはずまして――彼は喘息持である――はたから見るのも気の毒なくらいだ。さりながら彼は毫も自分に対して気の毒な感じを持っておらぬ。Aの字かBの字か見当のつかぬ彼は少しも不自由らしい様子がない。我輩は朝夕この女聖人に接して敬慕の念に堪・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
出典:青空文庫