・・・ 青侍は、帯にはさんでいた扇をぬいて、簾の外の夕日を眺めながら、それを器用に、ぱちつかせた。その夕日の中を、今しがた白丁が五六人、騒々しく笑い興じながら、通りすぎたが、影はまだ往来に残っている。……「じゃそれでいよいよけりがついたと・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・ お絹はやはり横坐りのまま、器用に泥だらけの白足袋を脱いだ。洋一はその足袋を見ると、丸髷に結った姉の身のまわりに、まだ往来の雨のしぶきが、感ぜられるような心もちがした。「やっぱりお肚が痛むんでねえ。――熱もまだ九度からあるんだとさ。・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ Kは寄宿舎の硝子窓を後ろに真面目にこんなことを尋ねたりした、敷島の煙を一つずつ器用に輪にしては吐き出しながら。 四 彼は六高へはいった後、一年とたたぬうちに病人となり、叔父さんの家へ帰るようになった。病名・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・「正に器用には書いている。が、畢竟それだけだ。」 親子 親は子供を養育するのに適しているかどうかは疑問である。成種牛馬は親の為に養育されるのに違いない。しかし自然の名のもとにこの旧習の弁護するのは確かに親の我儘である・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ 彼れは器用に小腰をかがめて古い手提鞄と帽子とを取上げた。裾をからげて砲兵の古靴をはいている様子は小作人というよりも雑穀屋の鞘取りだった。 戸を開けて外に出ると事務所のボンボン時計が六時を打った。びゅうびゅうと風は吹き募っていた。赤・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・生の栗がございますが、お米が達者でいて今日も遊びに参りましたら、灰に埋んで、あの器用な手で綺麗にこしらえさして上げましょうものを。……どうぞ、唯今お熱いお湯を。旦那様お寒くなりはしませんか。」 今は物思いに沈んで、一秒の間に、婆が長物語・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ いや、飜然となんぞ、そんな器用に行くものか。「ありがとう……提灯の柄のお力添に、片手を縋って、一方に洋杖だ。こいつがまた素人が拾った櫂のようで、うまく調子が取れないで、だらしなく袖へ掻込んだ処は情ない、まるで両杖の形だな。」「・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・性来頗る器用人で、影画の紙人形を切るのを売物として、鋏一挺で日本中を廻国した変り者だった。挙句が江戸の馬喰町に落付いて旅籠屋の「ゲダイ」となった。この「ゲダイ」というは馬喰町の郡代屋敷へ訴訟に上る地方人の告訴状の代書もすれば相談対手にもなる・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・それ故、文章を作らしたらカラ駄目で、とても硯友社の読者の靴の紐を結ぶにも足りなかったが、其磧以後の小説を一と通り漁り尽した私は硯友社諸君の器用な文才には敬服しても造詣の底は見え透いた気がして円朝の人情噺以上に動かされなかった。古人の作や一知・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 女は袂から器用に手巾をとりだして、そしてまた泣きだした。 その時、思いがけず廊下に足音がきこえた。かなり乱暴な足音だった。 私はなぜかはっとした。女もいきなり泣きやんでしまった。急いで泪を拭ったりしている。二人とも妙に狼狽して・・・ 織田作之助 「秋深き」
出典:青空文庫