・・・ 遠藤は妙子を抱えたまま、おごそかにこう囁きました。 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ するとその時彼の耳に、こう云う囁きを送るものがあった。「負けですよ!」 オルガンティノは気味悪そうに、声のした方を透かして見た。が、そこには不相変、仄暗い薔薇や金雀花のほかに、人影らしいものも見えなかった。 ・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・仁右衛門はそういう私語を聞くといい気持ちになって、いやでも勝って見せるぞと思った。六頭の馬がスタートに近づいた。さっと旗が降りた時仁右衛門はわざと出おくれた。彼れは外の馬の跡から内埒へ内埒へとよって、少し手綱を引きしめるようにして駈けさした・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・そういう声があちらこちらで私語かれた。クララは心の中で主の祈を念仏のように繰返し繰返しひたすらに眼の前を見つめながら歩いて行った。この雑鬧な往来の中でも障碍になるものは一つもなかった。広い秋の野を行くように彼女は歩いた。 クララは寺の入・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・麓まで見通しの、小橋の彼方は、一面の蘆で、出揃って早や乱れかかった穂が、霧のように群立って、藁屋を包み森を蔽うて、何物にも目を遮らせず、山々の茅薄と一連に靡いて、風はないが、さやさやと何処かで秋の暮を囁き合う。 その蘆の根を、折れた葉が・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・侍女 男が吃驚するのを御覧、と私にお囁きなさいました。奥様が、烏は脚では受取らない、とおっしゃって、男が掌にのせました指環を、ここをお開きなさいまして、(咽喉口でおくわえ遊ばしたのでございます。紳士 口でな、もうその時から。毒蛇め。・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・その上に間断なくニタニタ笑いながら沼南と喃々私語して行く体たらくは柩を見送るものを顰蹙せしめずには措かなかった。政界の名士沼南とも知らない行人の中には目に余って、あるいは岡焼半分に無礼な罵声を浴びせ掛けるものもあった。 その頃は既に鹿鳴・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・そして小さい葉に風を受けて、互に囁き合っている。 この森の直ぐ背後で、女房は突然立ち留まった。その様子が今まで人に追い掛けられていて、この時決心して自分を追い掛けて来た人に向き合うように見えた。「お互に六発ずつ打つ事にしましょうね。・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・というのです。二人手をたずさえて、人生紙芝居の第一歩を踏みだしましょうと、まじめなのか、からかっているのか、お話にならない。紙芝居を持って町を歩くと、「人生紙芝居」という囁きが耳にはいりました。新聞は私の紙芝居の宣伝をしてくれたわけですが、・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・女中部屋でもよいからと、頭を下げた客もあるほどおびただしく正月の入湯客が流れ込んで来たと耳にはいっているのに、こんな筈はないと、囁きあうのも浅ましい顔で、三人の踊子はがたがたふるえていた。 ひと頃上海くずれもいて十五人の踊子が、だんだん・・・ 織田作之助 「雪の夜」
出典:青空文庫